ロンドン市民がペスト罹患を恐れてロンドンを出ていく。『これでは市に残るのは市当局と召使だけになるのではないか、と思われるほどであった』(182p)。そして宮廷も移転ということになってオックスフォードに移る。しかし敬虔なクリスチャンのデフォーは『大変、失礼な言分かもしれないが、じつをいえば、宮廷人の悪臭芬々たる所業が、この恐るべき天譴を全国民の頭上に招くのに、あずかって大いに力があったといえるのだ』(182p)。宮廷人の普段の所業を知っているデフォーは快く思っていないのだ。

 

とはいえ『どの人間の顔にも、悲しみと憂いが漂っていた。・・・・私はこの時分の有様をそっくりそのまま、これを目撃しなかった人々に伝え、到る所に現出した地獄絵巻を読者に伝えることができたらと思う。・・・ロンドンは潸然たる涙のうちにあったといってよかった』。ここまで読むと戦争の従軍記者と同じ目線である。デフォーは商用のためにペスト死の多い地区に入り観察すると『通行人は通りの両側を通らないで、真ん中を歩いているのであった。これは両側の家からひょっとして出てくるかもしれない人間や、病気にかかっていそうな家から漂ってくる、何ともいえない悪臭を避けるためであった』

 

さらに腰巻きひとつで『おお、神よ』と叫ぶだけで、あとの言葉もなく裸体をさらして歩いていたり、老婆が空を見ながら『白衣を着た天使が見える、手には燃えさかる剣を持ちそれを打ち振るっている』といえば、付和雷同する市民も多く、デフォーが『私には見えない』としゃべれば『お前は極道者だ』まで言われる。市民の不安が増せば、非科学的であっても噂は広がり、様々な占いも流行る。『リリー暦書』『ギャドベリ予言書』『英国備忘録』『直言録』『ブーア・ロビン暦書』など初めて聞くような当時読まれた本もデフォーは後世のために記している。

 

『わが市民よ、ロンドン(彼女)とともに疫病に斃れないために、ロンドンより早く立ち去れ』。また疫病が流行する前に彗星が数か月の長きに亘って現れて、それをもペストの前兆とされたのである。デフォーはそれは疫病とは関係ないと判断しても『かような現象が一般大衆の心理に与えた影響は、とても尋常一様なものではなかった。ロンドンに、なんだかよくわからないが、とにかく恐るべき異変が起こる、怖るべき神の審判が下される、といった暗澹たる恐怖感が市民全体の心をしっかり捉えてしまった』。

 

なんだか鴨長明の『方丈記』(1212年成立)が450年後ロンドンで蘇ったような話である。方丈記は大火・大地震・飢餓・遷都による混乱などで人工都市・京都の地獄図を描いたが、記録者として冷静な二人は、現代でいえばジャーナリストであることに間違いはない。高い空からも現実を見れるし、目の前の事件も分析できる知性の持ち主は貴重である。(ペスト続く)

  1. 現代こそ危険な環境ですね。細菌兵器などで攻撃されれば一たまりもないでしょうし,また現実に一部で起きていますからね。今後もこのような可能性も無いとは言い切れませんね。

  2. 過去の現実を知らない世代。

    疫病も大災害も戦争も,後世に詳しく語り伝えることは大切な筈なのに,誰もがそうしなかったのは?余りにも悲惨で真実を語るには忍びなかったのでしょうね。関東大震災や第二次世界大戦についても父母からは詳しく聞かされなかったし,航空隊で親子ほどの年の差の,今は亡き兄からも,東京の戦火を逃れた3人の姉たちからも詳しい話は聞かされずに末っ子の私は育てられました。まして,中国から幅員した医療兵の義父からも残虐非道と言われた日本軍の諸行など多くを語られず仕舞いで他界しました。語ることができない,それほど恐ろしい現実を見たからなのでしょう。疫病も現代の過密都市に蔓延すれば,たちまちのうちに大量の死者を出すことになるでしょうね。そしてその感染スピードも規模も過去に経験の無い大惨事になるに違いありません。平和にはいつも危険が隣り合わせていることを,私たちは知らなければいけませんね。過去の事実をもっと知らなければならないでしょう。しかし,過去の悲惨な現実を知らない世代が政治を司る今,次世代のために果たして?これでいいのでしょうか。

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