札幌に住んでいた父が定年を機に郊外の市へ戸建てを買い、そこで死んだ。3人兄弟で私だけが北海道在住なので、葬儀の準備をしたが、わたしの家の宗教は何か、家紋は何、父の母親の名前は何と言うかすべてに答えられなかった。とりあえずお経を上げるという一般的な(私がこれまで出席した葬儀ではそうだったので)習慣を踏襲して、町中に東と西の本願寺があったのでポピュラーな東本願寺へお経の依頼をした。住職は「檀家になるならお経を上げてもいい」とのことで、藁をもすがる思いで檀家に入った。一体、謝礼は幾ら払ったらいいのか聞くと「お気持ちで」と言うし、町内会長が「通夜と告別でお経を二人で上げるから30から50万くらいかな」と教えてくれた。死亡届を先に市へ出すと、銀行口座が凍結されるから、先に葬儀代金をカードで下ろして支払いに充てた。香典も幾ら集まるかは予想できず、香典はないものとしてお金を準備した。葬儀のためだけの檀家の加入である。信心など正直ゼロである。あとでわかったのはわたしの父親の宗派は浄土真宗、家紋のかきつばたは母方の家紋。しかし、寺でコンクリートの納骨堂が完成したばかりで、案内状が送付されてきた。兄弟と相談して70万円の場所を購入(6人まで骨壷を安置できる)、父の骨壷を入れた。その後、母も亡くなり2つ目の骨壷を収めた。生前、母はわたしに「おまえも入るよね」と聞かれ「入るよ」と答えた。妻は「100%入りません」。兄も川崎から「悪いけど父の納骨堂には入らず、川崎の娘に頼むことにしている」。そうこうしていると、わたしの住む町で「集団葬・墓地」の説明会があって出席してきた。焼却場で焼いた後、大きな穴にそのまま入れてしまうシンプルなもので永代供養を入れて7万円もかからない。はじめ海洋葬や樹木葬を考えていたが、そこに行くまでの手間が面倒で、この集団葬に決めた。たくさんの亡き人と一緒に入り、お参りにくる見ず知らずの人たちに手を合わせられて、墓地の穴の中から見上げるのもオツなものだと想像したのである。ただ、心配は愛犬コロの骨だ。13歳で亡くなり、そのまま居間に置いてある。妻はコロと一緒に入りたいというが。ことしに入って同級生が鬼籍に入って通夜や告別式に行ったが、2件ともお経はゼロ、僧侶はおらず、ヴァイオリンの生演奏、ピアノの静かな演奏であった。大学時代、似たような文化に触れていて、やっぱり「宗教はアヘンだ」というマルクスの言葉が生きているのかどうなのか?檀家の終焉は思っている以上に近いと思う。もう僧侶から説教は受けたくないという市民の声をどうやって彼らに伝えたらいいのだろうか?彼らの癖は「檀家を自分たちの経済生活のために利用しようとすることに長けている」ことだ。前段の口上はいかにもという話をして。それより、檀家同士で助け合う時代は終わり、本当の困ってる隣の人を、家族を助ける世界に変わっているのである。

  1. 僕も無信心者ですが、仏壇を預かっています。兄も亡くなり、まさか姓の違う姉たちに頼む訳にもいかず、末っ子の僕が引き受けました。納骨は本州の寺にあります。お墓も本州の田舎にあります。でもなかなかいけません。田舎の風習にも疎いので、いちいち姉達に聞いてお寺に行っていましたが、その姉も施設に入っていますから、頼る人が居なくなりました。お寺には、遠い親戚にでも聞いてからお参りにいかなければと思っています。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。

You may use these HTML tags and attributes:

<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>