先日、30代の派遣社員と話をしていたら「ある日突然クビを言い渡された同僚がいた」とのこと。社歴なのか学歴なのか不明だが、生誕の場所は戸籍謄本でわかるから、ここはごまかすわけにはいかない。「履歴を詐称して派遣会社に登録をして、それが派遣先である会社にバレた」のだと。

人間だれしも見栄はあるのはわかるが、昔は雇い主の総務課長あたりが転職の場合、必ず前職の企業を訪問して、どういう人であったか聞きにいったものである。個人情報保護法でいまは履歴書の中に家族歴(父親の職業など)を書く欄もなくなった。あくまで採用される個人の最低情報だけだ。だから社歴や学歴の詐称は採用側にとっては重い問題になる。いっそう社歴や学歴欄を消してしまうほうが「嘘の発生はなくなる」かもしれないが、そうすると「今の私だけを見て」ということで、すべての過去歴が消えてしまう。ここは判断の分かれるところで、過去のない人というのはどういう人なのだろうか。

なぜ、筆者はこのことを書くかというと、私の育った地区に刑務所があって、青い囚人服を着て畑仕事をしていた。刑務所の周りが中学のマラソンコースにあたり、畑から私たちにガンバレと手を振ってくれた。いい笑顔をしていた。わずかなシャバとの交流時間であった。軽い犯罪の人たちが畑での労働をする。しかし、刑期を終えて、保護司のもと仕事を探して働くのだが、何かの事情で転職して彼らも履歴書を書くとき「○○刑務所で何年服役」と書かざるおえない。罪名も含めて。「世間は冷たい」と刑務所に戻ってくる人が多いのである。筆者の自宅には刑務所で作られた碁盤や将棋盤がある。父親が刑務所へ家具を買いにいっていたことを思い出した。「彼らのつくるものは丈夫で安い」と誇らしげに言っていた。

話題がそれていったが、履歴ってどこか残酷なところがある。すでにそこに自分の努力圏外の偏見や世間の思い込みや厚いラベリングが貼ってある場合が多い。私事で恐縮だが、私の妹が結婚を約束した男の家は兵庫在住の宮家の家系に属していて、そこからの要求が「3代前までの家系図を出せ」ということであった。両親とも仰天して「破談にならないか」希望していた。結果は菓子折りを持って、相手のお母さんが「今回の話はなかったことにしましょう」と頭を下げにきたわけである。家系図も自分のあずかり知らぬ履歴のようなもので、NHKが得意な有名人の先祖を追いかけるお涙番組もその亜流といえる。

札幌にそれどころか、親から捨てられたり、育児放棄された子供たちの施設がある。知人がボランティアでクリスマスが近づくとプレゼントを山のように抱えて施設を訪れて、サンタ代わりをしている。ひとりひとりにメリークリスマスと言ってプレゼントを親に代わって渡すのである。

やむおえず履歴を詐称せずとも、省略してもいいくらいの寛容な社会になってほしいものである。言いたくない時代とか出来事って誰もが持っているのであるから。

  1. 自慢話は良く聞きますが、罰を受けたり前科者の話は聞きませんね。しかし、隠したところで、いつかはバレますね。原因は本人の口から誰かに伝わったり、仲間や親しかった人から暴露されたりと、きっとバレます。嘘をつき始めると本人が麻痺してしまい他人に気づかれていることすらわからなくなって、次から次へと嘘の上塗りをするうちに、つじつまが会わなくなったりしますね。長い人生を味わった人たちは、いろんな経験をして来たわけで、嘘を見抜いたり、人格を見抜いたりは容易です。人を欺くには、先ず自分を欺かなければなりません。それも辛いでしょうね。

  2. 忘年会シーズンになれば、京王だ東大だ京大だなどと酒の席で自慢話が行き交う。学歴の無い僕は「幼稚園へは行っていません。小学校しか出ていません」と言って水を注す。そうでもしないと、自慢合戦は収拾がつかず、貴重な時間がどんどん費やされ、親睦の意味すら無くなって、ひと塊の人たちだけが満足気に?会話を弾ませる。果たして、本当か詐称かは?ご本人しか知らない。社会に出れば、ほとんど役に立たない学歴は、就職のための履歴書や面接時には有効だが、仕事ができるかどうかは別問題だ。それに比べれば、同窓会などは、お互いの学歴も知っているので心を開いて寛げるのだろう。そう言う僕は、これまでに一度も同窓会には参加したことは無い。自慢話も無ければ、お酒が強いわけでも無いので、今更、顔を合わせたところで、まるで別人の集まりのような同窓会には余り気が進まないのだ。第一、名前すら思い出せない人も居る始末だからだ。同窓会では、学歴詐称は無いにしても、立派な肩書の職歴詐称はあるかも知れない。

  3. クレーマー詐称か。酒癖詐称か。

    フェースブックが流行った頃、しつこく誘われて少しかじったが、なんとプライバシーを登録する仕組みに嫌気がさした。前々職の社長も自慢げに顔を連ねていたことも興味を無くした原因だったが、今は止めている。ラインも使ってはいるものの、プライベートな一部だけで、これも信用できない。ツイッターはやっていない。つぶやく以前に、PCの前で既に毎日、つぶやきながら仕事をしているので、必要ないのだ。詐称か真実かも不明な人たちとお友達にもなりたくないし、良くもないのに「いいね!」なんて言いたくも無い。昨日も酔っ払いのお相手をしたが、支払いの段階でスタッフの対応の悪さにクレームは付けるは、終わったかと思えば、矛先がこちらに向けられるやら、人格を気づ付けられるくらい気分を悪くさせられた。何様?かは知らないが、他人にクレームをつけるSNSや、お酒はやめてほしいものだ。今日になれば、本人はきっと白を切るだろう。「言った覚えはない!」と。履歴書に酒癖の記入欄も設けた方が良いと思うこの頃。

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