コーヒーといえば、焙煎が命。筆者には焙煎の程度はよくわからないが、知り合いの焙煎業者は、札幌市豊平川の河川敷に近いオンボロの小屋を借りて、焙煎の匂いが付近住民に不快感を与えないように顧慮している。焙煎の匂いはコーヒーの香りがするものだと思ったらそうではなくて、温度も半端なく高温で、ある人に言わせるとまずい匂いだよと言っている。住宅街で焙煎すると、洗濯物にも匂いがついて外に干せないとも。一度、娘婿に連れられて大分の山のてっぺんに連れて行かれた喫茶店があった。焙煎をして全国へ通販している。(豆岳珈琲)である。https://hyakkei.me/articles-514  東京でCM制作の仕事をしていたが、山の頂上で焙煎を始めた。耶馬溪の奥の細い山道を娘婿の運転で、危険をかえりみず到着。山の上までお客さんも来ていて、ここなら思い切って焙煎はできるわと思った次第。大雨が降ったら、孤立すること請け合いで、そのための水や食料も確保してあるし、トイレも化学分解できれいになるトイレを使用していた。通販といってもトラックが上ってくるのか、ご主人が山の下に豆を下すのか、聞くのを筆者は忘れたが、通販業務が順調にいけば、山の中でも食べていける世の中だと実感した次第である。

久しぶりに埼玉から大学の同級生がやってきておしゃべり。定年延長も終わり、もう働きたくないとのことで、トルコのイスタンブール行きを計画している。キリスト教とイスラム教文化の接点を見たいとも。『イスラムの建物のブルーのタイルが実に美しいんだ』。イスラム教は偶像崇拝は禁止なはずで、そういうタイルは偶像のカテゴリーには入らないのかな?とふと思った。『ユダヤもキリストもイスラムも同じ神だからね』『それにイスタンブールは、西域に向かう中国や日本へも文化の影響があるからね』。しかし、難点はご存じのように政情不安。エルドアン大統領の独裁・反独裁をめぐって国論二分されているからね。

  1. コーヒー嫌いの僕ですが、入れたコーヒーの香りは好きです。焙煎の時の匂いは嗅いだことがありません。そもそも、コーヒー大好きで、大阪に住んでいた頃は、マリアッチなど聞きながら、穴倉のような店でメキシカン・コーヒーを独り楽しんだり、ネルでろ過したりもしたのです。北海道に来てしばらくは、氷で落とすコーヒー店などにも通いました。ところが営業に出るようになっていく先々でコーヒーを出され、疲れたと喫茶店に入って紅茶を飲み、午前中だけで、コーヒー5~6杯に紅茶をポットで貰ってカップで4~5杯も飲んで、一気に具合が悪くなり、それ以来コーヒーや紅茶を拒絶するようになりました。体に良いと聞きますが、身体が受け付けなくなったようです。今ではネスレの超アメリカンを時折飲む程度ですが、味のわかるコーヒー通の人たちが羨ましいですね。

    • 考えてみると不思議な飲み物ですよね。南米かアフリカが原産?石油会社に勤めた人が中東のコーヒーは超濃いとも言ってました。
      (アラビアコーヒー)様々ですが、リラックスと疲労回復剤ですかね。営業はコーヒー代金が凄い。街中の喫茶店は営業マンが何人
      来るかで売上げが決まるといわれてました。なので、1階にある喫茶店は激減、サラリーマンの財布は軽くなり、喫茶店は営業の墓場
      とまで言われる始末。コーヒーより誰と何を話せるかが筆者にとっては大事な財産でした。いまも変わりません。

  2. コーヒーはアフリカ原産、ココアは南米原産ですが、西欧諸国がそれぞれのプランテーションに持ち込んだため、大陸規模で主要生産地域と原産国が逆転してしまったそうです。ブラジルに移民してコーヒー畑を営んでいたひとから、焙煎方法を習ったことがあり、若い頃試したことがありましたが、火事の焼け跡みたいな匂いが部屋について何ヶ月もとれませんでした。

    • やはりプランテーションが出てきますね。これをすると原産地が曖昧になりますね。焙煎の匂いはひどくて
      実は筆者の住む団地内で焙煎所があり、匂いで近所の人が困ってます。さらに先日ボヤ騒動もありました。2回目
      だそうです。相当な高熱で焙煎するので危険らしい。

  3. 豚屋です
    皆様お久しぶりです。
    7月1日明方、父が89歳で他界しました。
    月曜日は通夜、火曜日は告別式とハードなスケジュールでしたが、葬儀を長引かせるのは、身内も関係者も辛いと思い、即日決行させました。
    自分は元来、涙に弱く、感動したり、悔しい時は、一人でこっそり泣く、泣き虫です。
    母が喪主、自分は長男で施主。
    葬儀中は不思議と涙は出ませんでした。
    ところが、通夜葬儀も終わり、出棺の時、母から会葬者への挨拶を頼まれ、マイクの前に立ちましたが、突然涙があふれ、
    泣き虫小僧の挨拶となってしまいました。

    脳が止まれば、人の死と欧米では常識で臓器移植等行われておりますが、やはり、日本人は宗教柄、人体がなくなるのを死とする価値観なのでしょうか・・・

    そんな自分も、わが身に何か起こった際は、保険証や免許証には臓器移植提供に賛同する旨記載しております。
    でも、我が子や親族等が臓器移植を必要とした場合、脳死で提供し助けて欲しいと願うのは、本心ではないかと思います。

    このあまりにも身勝手な考え・・・
    これからの日本は、いったいどこへ向かっていくのだろうと、父の死を通し改めて思いました・・・

    • そうだったんですか?ご愁傷様です。私は3兄弟ですが、北海道から逃げ遅れた私なので父母の最後と葬儀の段取りや打ち合わせ
      を全部しました。悲しみより、連絡や式の内容、父の略歴も母親の名前がわからず、宗教まで間違えてしまいました。テンテコマイ
      でした。亡くなってしばらくして、父の勤めていた札幌のひとつ手前の苗穂駅を見て、切符を切っていた父の姿がありあり浮かんできて
      電車の中でしたが、涙が出てきました。昔のままの古い駅舎です。脳死ですか・・・。先日も自分の子どもの臓器を提供した親の話が
      記事にはなってましたが、。私の免許証には臓器提供は賛同はしてませんが。自分より家族に任せているところがあります。また、落ち着き
      ましたら、養豚経営についての雑談話、投稿願います。22日に孫が大分県から来るので、穂別の恐竜公園に連れて行く予定をしています。

      • 豚屋です

        皆様お晩でございます。
        雨ばかりで嫌ですが、涼しくなり助かりますね。
        先週、私が、豚屋を志し、3年間修業した養豚業者の社長さんが他界されました。
        先週はお手伝いの1週間でした。
        皮肉にも、7月2日の父の葬儀の席に来てくださった、社長さんと交わした会話が、最後の会話となってしまいました。
        葬儀は、最大限に協力しなければと、お手伝いしておりましたが、
        葬儀が簡略化される現代、会葬者の面々見ておりますと、非情なほど、人間関係、さては、日ごろ、体よくしているのに、いざという時の行動で現れてくるものですね。
        人材難のなか、労働力不足で父の通夜直前まで農場で仕事し、みんな後は頼んだぞと言って、通夜会場へ向かいました。
        職員から、我々行かなくていいのか?と言葉が出ましたが、それは親父も自分も望んでいない。
        みんな、留守中農場を頼むと言って、出てきました。
        それから一月後、恩師の葬儀を前にして、次々と求人がかない人手不足は解消しました。
        自分は元来、このような考え方はしない男でしたが、父が最後恩師の葬儀を予期し親として息子に自らの命を使い葬儀の練習の場を与えてくれ、その父と恩師が、練習を役立てるように、求人をかなえてくれたのかなと思うようになりました。

Leave a Reply to 匿名 Cancel Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です