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瀬戸 昭二 1951年1月30日に札幌市で生まれる。札幌の小・中・高を卒業し、北海道大学文学部西洋哲学科倫理学科中退。総合広告代理店・媒体系広告代理店で35年間営業

 

 

1951年に札幌で生まれた筆者は、ことし1月で66歳。長年住んだ地区は東区の苗穂といって旧国鉄の苗穂工場はじめ雪印本社、トモエ醤油本社、サッポロビール工場、ウィンターキャラメルを大ヒットさせた古谷製菓に囲まれて、アパートのベランダに出ると、風の向きで、きょうはホップとキャラメルの匂い、きのうは醤油と乳製品の匂いが鼻をつく食品工場エリアであった。豊平川の向こうには日本清酒や北の誉という清酒メーカーもあった。苗穂刑務所もあった。高校のマラソンは、畑している軽度の犯罪者から「がんばれよ」と励まされ「おじさんも早く出て来てね」と大声での会話もあった。このあたりは、札幌の西側に藻岩山という山からの伏流水があふれ出す、食品の命の水が豊富に湧き出てきた場所でもある。煎餅工場やパンを作る家内工場も多くて、貧しい人たちは、私を含めて耳煎餅、耳パンという10円で山のように入った商品価値のないビニール袋詰めを買いにいったものである。現在、スーパーで流行のお菓子の「理由あり商品」は、実はとうの昔から、捨てるものでも食べれるという思想というか常識がきちんと根付いていたのである。忘れていたが、さらに北には丘珠地区という玉ねぎの大生産地もあって、秋の収穫期には甘酸っぱい玉ねぎも匂いの競演に参加。ただし、困るのは苗穂工場がSLの修繕もしていて、ポッポーでも鳴らせば石炭の匂いで食品の匂いが台無しになることだった。私の口が卑しいこと、匂いに敏感なのも5感のなかでもっとも原始的な感覚の鼻が、15年間の苗穂の暮らしで培われたのかもしれない。そんなにアルコールを飲まない私はとにかく食べる。おかげで真正の糖尿病になってしまった。 そうであれば、私の書くものに、高尚なものを要求されるのは到底、無理だとご判断願いたい。

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