熊本・鹿児島・長崎・佐賀・福岡・大分各県の豪雨被害の映像を見て絶句するばかりだ。昔書いた平凡に暮らすむつかしさ。

平凡に暮らすのは至難!?

69年を生きてきて、同世代の近所の旦那さん方が49歳、53歳、55歳、52歳、60歳で病気や事故で亡くなると、『平凡で普通に暮らす。静かに暮らす』ことは奇跡ではないかという思いが日々強くなる。同世代以上の長生きがいたとしても、早くに亡くなった人をやはり思う。黒澤明の《「生きる」言葉》の中に『普通に生きることが一番むつかしい』がよみがえる。普通って何?と聞かれても、基準があるようで実はない。人生に平均はない。昨日のような今日があって明日もきっと太陽が昇って沈んでいく・・・


それが突然のミサイル落下、配偶者の病気、子供の事故、貸し倒れや自己破産、交通事故、突然のリストラ、大地震で自宅消失、原発事故での居住変更と移住、白血病発症の不安増加、見知らぬ通り魔に襲われるなど不幸な種は数え上げればキリがない。芸能人や政治家にだけ事件やスキャンダルが襲うわけではない。公平に皆にも襲ってくる。平凡さに飽きて、「何かおもしろいことはないか」「どこかに美味しい店はないか」「イベントをやってないか」「いまの流行は何だ」など変化を絶えず探し求めて刺激を求める現代だ。電波からチラシからポスターから「イベントだらけ」「イベント漬け」に市民を洗脳してしまっている。(コロナ禍の現在は少し違う)

そういう社会の中で、平凡に普通に暮らすのは至難の業である。私も正直この平凡さや普通って具体的にわかるようでわからない。しかし、私自身が救急車で運ばれたり、子供がケガをした、具合悪そうで迎えにきてくれと学校から知らせがあったり、母から「お父さんがトイレで動かなくなった」と電話があって、葬式の準備を考えながらアイスバーンの冬道を走った2月4日の真夜中を思い出すと、「何もないことがありがたい」という意味がわかる。

反対に「無事に生き返って退院できた」「無事に希望の大学に合格した」「無事に孫を出産した」「無事に事故もなく帰郷した」「無事に通夜と葬儀を終えた」。共通は「無事に」という副詞である。無事に案件は終わり、普通の日常に戻るということだ。空から危険なものが降らず、突然、刃物を持った人が玄関口に立つこともなく、たんたんと日々が過ぎてゆく。ある日、突然の人生の中断があっても、ここまで生きてきたのだから許容する覚悟だけは持とうと毎日努めるだけである。コロナウィルスとどう共生したらよいのか私も模索している。世界中が「コロナ鬱」になってる状況だし。マスクを外して、青い空を見上げながら歩きたい。

  1. 新型コロナ禍の産んだ新しい北海道スタンダードは「新北海道スタイル」と言われていますが、感染拡大防止のためにはマスクは常識、ソーシャルディスタンス、手指洗い、施設の換気、設備備品の消毒、などなど、これまでの普通の暮らしが一変してしまいました。もちろん、お祭りやコンサートやイベントも自粛が続いています。熱狂的ファンが多かったスポーツも無観客。徐々に改善傾向ではありますが、あれほど自由だった頃の元には戻れそうにありません。経済活動の低迷は随所で大きな打撃にもなっています。しかし、一部の心ない人達を除けば、誰もが同じ環境変化を受け入れて暮らすようにもなりました。新型コロナウイルスも自然災害も、暮らしにとっては、とんでもない悪玉ですが、ともすれば忘れかけていた、忍耐や工夫や共生などを再認識させてくれたのでは無いでしょうか。

    • 他人にやさしくなってきたかもしれませんが、税金争奪戦が違法行為すれすれでやってます。官僚の政治闘争に国民が振り回されている状況がいまですね。徳島大学の大橋真さんが、そもそも武漢発の新型コロナの遺伝子配列を、イギリスの雑誌に投稿してから、それが唯一のコロナウィルスであるかどうかの世界基準になってPCR検査をしてるんですが、大橋さんは『のどチンコや気道から摂取したごった煮の痰から、以前、サーズや鳥インフルのときの遺伝子配列に似た部分をレポートに書いたので』それは、予想で、たぶんこうだろうということで、『本当に新型コロナウィルスはあるのかな?』疑問を呈しています。元々、人間各位が持ってる在来のコロナウィルスではないのか?と。PCR機器も中国武漢から中国の医師が患者から大急ぎで摂取した痰を分析したので、それが基準で陽性と陰性が判断されてます。基本の基本の基本が違うと、すべての新型コロナ対策はゼロからスタートになります。

  2. 「何て日だ!」

    「普通の暮らし」には個人差がありますが、生きる上で何事もなく過ごせるわけはありませんね。毎日毎日無事に過ごせるのは奇跡に近い位ですね。昨夜も仕事帰りに立ち寄ったスーパーの車止めの無い駐車場でバックしていたら何か小さなショックを感じて降りて見てみると何と見えなかった低いコンクリート壁にバンパーが接触しこ擦り傷が。それまでは仕事も順調で何事も無く普通の一日のはずが最後に「なんて日だ!」となってしまいましたが、何事もなく無事と思っている日常でも、大小の差はあれ、自分でも気づかないところで何かしら起きているのでしょうね。それらも含めて寛容にさえなれれば「普通の暮らし」と思えるのかも知れませんね。

    • まったくおっしゃるように、動くと何かしら出来事にぶつかります。動かなくても外からやってきますけど。普通の暮らしって、壁と屋根と床があって寝る場所があって3食食べれるお金と水がある基本から始まりますね。洪水や地震を体験すると『動かない大地』の上に生きているということです。そして田畑があって食べるものをつくる人たちがいるということです。最近、自宅の角や机にぶつかることが多くなりました。視野が狭くなってるか、脳の血管がどこか細くなってるかもしれません。

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