散々なアメリカ西海岸研修旅行。
アメリカの西海岸の主に流通の現場を視察するツアに参加した。48歳のときだった。海外旅行は、このときが初めて。これまでは、新千歳と沖縄間が最長の飛行機旅行であって往復4時間の機内ではパニックも起きず、すこぶる元気な30代であった。
それが恥ずかしい話、成田でロスァンゼルス行きに乗り込むや、機種がジャンボ機で自分の席がどんどん奥へ奥へ・・。嫌な予感。出てきたパニック!しかも、私の席は5人掛けのセンター席。もうだめだ!ツアコンダクターへ「私、パニックで乗れません。降ろしてください」と言うも「あなたが参加しないとツアが成立しません」と言われて、胸を押さえて自分の席へ。横並びの乗客へ事情を話して、通路側の足を伸ばせるところに移動。少しは楽になった。
いかにジャンボとはいえ、所詮、飛行機。天井が低い。これではダメだ。うっとこらえているうちに一路ロスの青い空へ向かって離陸。どうして、こんな乗り物を人類は発明したのか、呪ったものである。映画でも見るかとイヤホンを付けて気を紛らわした。ジョニーデップのパイレーツ・オブ・カリビアン上映だ。海賊たちの戦いより、自分との戦いに疲れ果てて、ストーリーもあったものではない。しばらくすると、周りはスヤスヤ眠り始めるではないか。自慢ではないが、私は一睡もしていない、何回、このジョニー様を見たか。DVDレンタル店でこの映画を見すると悪夢が蘇る。
ロスでは空港からユニバーサルスタジオへ。私はウォーターワールド前のベンチでスヤスヤ眠りに入る。遠くから水の弾ける音や悲鳴が聞こえる。不眠で絶不調ではあったが、空港近くのホテルで、部屋のベランダから次々飛んでくる飛行機の離発着を眺めて、タバコを吸ってようやく我に返った。しかし、次もロスからサンフランシスコへ飛行機だ。ここは何とか意地で乗り越えた。しかし、着いたホテルの部屋に入り、外の空気を吸おうと窓を開けたら、コンクリートの壁!壁に窓を貼っただけ。パニック出て、廊下を走り、ロビーへ。おお、高い天井だ。楽になる。
しばらく和んでゆっくり部屋に戻る。サンフランシスコでは1日自由行動。よーし、アルカトラス刑務所へ行くぞ。ツア仲間が私についてきて4人になった。フィッシヤーマンズ河岸からフェリーに乗り、刑務所到着。日本語解説のイヤホンを借りて、アルカポネの入っていた独房だ。これはせっかくアメリカへ来たのだし、入ってみないと損だわと、独房に入ると、パニックがまた押し寄せる。すぐに屋外へ駆け上がり深呼吸。
帰りは、もう半分、死んだ気で、どうにでもなれと居直ったら、症状が浅くて済んだ次第。何をしにアメリカへ行ったのか、わからない旅であった。後日談だが、旅行の添乗員経験者に聞くと、ツアを途中で降りる人はいるが、ジャンボ機の場合、筆者の荷物を探すのに時間がかかって出発を遅らせるので、降ろしたくないというのが本音だと。なお、写真は皮肉にも、筆者が精神科の医師とともに作成したパニック含めた不安障害のパンフだ。A社のMRの方が、全国で1万冊以上、内科へ置いたはず。読まれた人がいるかもしれない。
次の年、筆者は急性心筋梗塞に襲われた。


昔の少年
読ませていただいて、あの時も、あの時も、『不安障害』だったんだと初めて気づいた次第。二十年近く前のちょうど今頃、GWで家族で登別マリン二クス?へ高速を走行中。苫小牧あたりから気分が不安定になり気を紛らわせるのに必死で、ようやく目的地に到着。館内に入ったがフラフラするので外気の当たる玄関先のベンチで独り休んでいたが人並みが嫌で今度は駐車場の車で休もうと向かうが目が回ると言うか地面が揺れるような状態で鼓動が激しく、ようやくたどり着き、リクライニングを倒して休むが落ち着かない。だんだん不安になって我慢の限界。駐車場の係りのオジさんに救急車を要請!登別厚生病院へ乱暴な運転の救急車で到着。点滴をする以前に安心したのか少し治まった。帰りの運転もまだ不安が残ったので娘に運転依頼。初めて運転する輸入車を嫌がったが何とか説得して無事帰着。こんな事は何度かあった。大阪でも地下鉄駅務室で水を貰って休ませて貰ったが治まらず救急車で大阪の福島にあるこれまた厚生病院へ、これも乱暴な救急車で、そしてこれも点滴前に落ち着いて電車で、予約便に乗り遅れた空港へ。小松空港に向かう真夏の北陸自動車道を走行中は猛烈な熱気でたまらなく、高速を降りて交番に駆け込み、自分の車で教えて貰った小松市民病院の救急窓口へ!冷房の効いた静かで清々しい場所で点滴で2時間眠ったのが一番の良薬のようでしたが、乱暴な救急車に乗るのも、意外に気がまぎれるものですね。飛行機、特にジェット旅客機やバスが嫌いな理由も何となく判ってきました。実は同居している孫の小3の男の子が夕べ深夜に泣き叫びパニックで走りまわり大騒ぎでした。水を飲ませて、しばらくかかって治まりましたが、寝ぼけた状態ですから、今朝、本人は覚えていないでしょう。
seto
それは私と同じですね。疲労とストレスがパニックを誘因します。10代の末の初めてのパニックは深夜、救急病院へタクシーで父に運ばれて
医者の顔を見ると、すーと楽になりました。父が「変な病気だな」と言ったのを覚えています。頭を冷やすといいと、パニック経験者から
知恵がきてます。特にまだ若い小学生の男の子には教えてね。走り回るというのも、私にもありました。電車の中で、あちこち行くのです。座って
いても立ち上がり、次の車両へ移っていったりしてました。
silo
パニック障害の恐怖は僕もよくわかります。
ジャンボ離陸直前に「下ろしてください!」と叫んだり。
ホテルの部屋が小さいと中に居る事も出来ず夜な夜な散歩して紛らわせたり。。。
全く同じ経験をしております。
約20年前に発症いしてから2年前まで落ち着いていたのですが。。。去年ニセコにラフティングに行きボディスーツを着た途端にパニック障害が再発しました。
その後は大変です。満員のバス・電車にも乗れない。車も運転できない。エレベーターも乗れない。個室居酒屋もNG。飛行機はもってのほか!
でも、仕事上、毎月東京に飛行機で・・・辛かったです・・・
スカイマークさんはとても親切で「パニック障害を持っています。空いていましたら一番前の席に移動させて頂けませんか?」と要望すると、空いているときは座らせてくれて「他に私たちでお手伝い出来る事ありますか?」と言ってくれました。身体、特に頭を涼しくしていると落ち着きます。
お陰で何とか毎月の東京出張もこなしてきました。
今では不安で心が満たされる前に幸せな事を考えて不安に飲み込まれないように出来る様になってきたのと、音楽で気を紛らわすのではとてもいいです。
僕の場合は背中、首がゴムでぐるぐる巻きにされている様な緊張状態が日常よりあるのが大きな原因の様で、針・灸はとても有効でした。
その後は不安が襲ってきても何とかパニックまではならないで、症状が穏やかになってきています。
seto
定年になって、仕事のストレスが少なくなり、妻のストレスが増えてきました。今度は妻が危ないですね(笑い)あと、紙袋に二酸化炭素を吐いてそれを吸うと過呼吸
を鎮められるといいますが、まさか満員の電車内でそれをすると、昔流行ったシンナー遊びになりますね。お互い、自然体でいきたいものです。