先日、図書館の帰り道、見知らぬおばあちゃんが立ち止まって呼吸を整えていた。手には傘を持ち、それを杖代わりに体を支えている。『図書館の帰りですか?』と私。『いえいえ、毎日歩いているのです』『傘を杖代わりに?』『杖を持つといかにも年寄りじみていてね』『まだまだお若いですものね』『私、何歳に見えます?』『そうですね、75ですか』『それに10足した数字です』『その年齢で、私の母は老健施設で、前輪付き歩行器を押して歩いてましたよ』『歳を取るのはつらいものです。思うように動けなくて』『どこに住んでいらっしゃるのですか?』『○丁目です。前は駅前から遠くに住んでいましたが、やはり駅の近くと言うことで引越ししました。』


『家を4回作り変えました。自分の希望の家をつくるには4回は必要ですよね』(1回でも大変)『ご主人は』『13年前に亡くなり、娘と住んでいます』『それではまた』。私が質問すれば何でも返ってくる。どんどん質問すれば、もうおばあちゃんの人生アラカルトを聞くようだ。亡くなった夫が国鉄の技術者でいかに有能で給与や年金が高かったか、定年になってもまだ辞めないでくれと懇願されて働き続けたことを自慢していた。こちらが聞いていないこともどんどん話し出す。


おじいちゃんで、こういう会話が出来る人は私の経験では少ない。縦関係抜きで話せる習慣を、若いときから男はつけておかないと、まずいよねというのが今回の筆者のブログ趣旨である。男の場合、どうしてもビジネスライクな起承転結のある話や人事話が多い。横に話題が広がりにくいし、その話題しばらく話したいなと思っても、ばっさり切られて続かないことを何度も経験している。仕事と関係のない勉強をしていたり、趣味の世界を掘り進める人が少ない。相手からみて筆者にも、話題をそらす癖があるとは思うが。


嫁に行った娘と、1時間以上喋る妻を見ていて、よくそんなに話す話題があるよなあホトホト感心する。話すために話す。ときどき女性同士の起承転結のない会話風景を見て、羨ましさを感じると同時に同じ人間ではあるが、全く違う生き物ではないかとも感じることもある。話しても通じない。それにしても女性同士は内容が厳しい話も多い。女性の同性へ悪口も激しいなあとも思うから、筆者などは苦手。どこの職場へ転職してもそれは変わらない。


電通女子社員の自殺で社長辞任までいったが、同じ女子社員で(女子寮に入っていた)彼女をサポートできる同僚がいなかったのか、筆者などは昔の寮のイメージ(先輩が酒を持って部屋に入ってきて、悩みを聞く習慣があった)とは違う、より孤立感の重い社会になってしまったのか?大昔、電通にいる知人が筆者に『バリバリの体育会系の会社だから、社風としてあなたに全然合わないよ』と言われたことがある。挨拶や返事の仕方、先輩後輩の絶対性、どれをとっても筆者は失格である。家庭でも夫失格であるが。電通の女子社員にも散歩のおばあちゃんが持っていた雑談力があって、またその時間があればよかったとつくづく思う。雑談力が命を救う場合もあるのだと思いたい。

  1. 大阪のおばちゃん流。

    我が家の「海の神」(浜育ち)の電話は長い。本州は若狭に住む,大正14年生まれの母親とは,3時間でも話し,福井市に住む妹とは1時間以上は話が尽きない。広島の兄とはひっきりなしに電話を架け合い,隣近所の人々とは挨拶だけでは終わらない。東京だ大阪だ名古屋だ札幌ドームだと,コンサートに娘とでかければ会場の誰彼かまわず話しかけるらしい(若狭出身で関西弁なので)。「大阪のおばちゃん」みたいだと娘は嫌がる。大阪に4年半住んだ僕の経験では、北の梅田あたりよりも、南の道頓堀や心斎橋をぶらぶら歩いていると,派手なシャツのおばちゃんと目が合うだけで「アンタ〜どっから来たの?」と地元民では無いなと,すぐに見破られて興味をもたれ話しかけられる。阪急電車を待つホームでも同じだ。どこからとも無く「おばちゃん」や「おっちゃん」が話しかけてくる。生まれ故郷の東京では,そんな事はほとんど無い。むしろ,話しかけられれば無視しながら交わし警戒するくらいだ。

  2. 話し相手が欲しい高齢者は沢山いる。独居や,家族との会話の無い環境や,施設生活での疎外感など理由は様々だと思うが,そんな話相手をしてくれる人をみんな求めている。介護と一言で言うが,身体的介護ばかりではない。話相手になってあげられる気持ちの通った介護が求められている。我が家の家族も長い間,介護に従事していたので,そんな高齢の利用者さんの話はよく聞いていた。

  3. 寮生活は孤独だ。先輩にも後輩にも気を遣い,プライバシーさえも無い。性格も育った環境も違う者が共同で暮らす。極端だが牢獄みたいだった。点呼で始まり,一日を点呼で終わる。嫌がらせあり,リンチあり,報復あり,相談する家族は居ない。自分に時間を持てない管理下に置かれると,人はどんどん自分を追いつめてしまう。仕事の重圧も重なれば,かよわい女子ならそんな環境から逃げ出したくなるのは当然。男の僕でさえ耐える事に疲れたほどだ。

  4. 「丸投げ連鎖」。

    電通に限らず,広告業界では過労死や自殺も稀ではなかった。さらにその下で働く専属プロダクションのスタッフの待遇はさらに過酷なものだった。僕も広告業界に足を踏み入れて久しいが、連続徹夜もしたし,残業時間の超過で社内の労組から問題にもされた。それでもコンピュータの導入で,アナログ時代に比較して,現在では作業負担は減少している。しかし,その反面スピードが求められるような時代の変化も。東京などで感じたことは,上司や同僚でも要領のいい奴らは,人のいい同僚や部下に仕事を「丸投げ」している。さらにその同僚や部下たちが同じ真似をして「丸投げ」の連鎖だ。「丸投げ」した方は,さっさと時間通りに帰り,「丸投げ」された方は,徹夜でもこなせないくらいの仕事量を抱え込む。すべての社員が自分に任された仕事は自己責任で解決する気構えさえあれば「丸投げ」も無く仕事もシェアできると思う。一人が悩んで「死」を選んでいる間に,原因を作った奴らは,のうのうと酒でも呑んでくだらない「ゴマ摺り」などしているとしたら絶対に許せない。

  5. 12月31日のマイクロソフト社が、田中宇さんノブログを削除した記事を書いたら、1月2日、こちらのブログへスパム
    メールが一挙に245個来て削除したところ。いつもはせいぜい3個~5個なのに。私のブログも狙われているかも。

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