映画『テルマエ・ロマエ』を封切で見に行ったときに、30分見て筆者は映画館を出た。ギボン『ローマ帝国衰亡史』を読み始めていたのでなんともふざけた内容で退席したのである。妻や娘から大ブーイングであった。ヒットマンガの映画化で阿部寛主演の映画に失礼だと。映画はその年、数々の映画賞を受賞した。われながら、時代の動きや流行から相当ずれている自分を感じた。


昨日、

恵庭市立図書館の司書(彼女も山下達郎ファン)から『瀬戸さん、ヤマザキ マリさんのマスラオ礼賛を詠みましたか?山下達郎さんについても書いていますよ』というから読んでみたら、なんと『テルマエ・ロマエ』の原作者であった。『マスラオ礼賛』というからマッチョ的な男・男の中の男を紹介しているのかと思いきや、自分の好奇心に正直に、生物としての生き物として、国境を越えて、郷に入ったら郷に従い、人間のジャングル内(世間)で一人でも生きていける、生物として〈動物として)の人間の回復を願う本であった。

幻冬舎 1500円(税別) 2016年8月刊


14歳でイタリアに絵の修行で渡り、またそれを許したお母さんや祖父への感謝、雄と雌の差異にこだわり続ける生物としての人間に無縁のように少年たちと虫取りや小動物と遊んでいた少女時代を送ったヤマザキマリさん。生まれた男の子に〈デルス)と命名する。映画の制作費費が集まらず、自殺未遂を起こした黒澤明。当時のソビエト政府が資金を出して完成した『デルス・ウザーラ』。東シベリア北方少数民族ゴリド族の(デルス)を案内人として、シベリアの地図を作ろうとした探険家たちが、いつしか家族も失い、一人きりで暮らす60代後半のデルスの生き方・ひとり暮らしの孤独感に惑わされない生き方に感動・共感する映画らしい(筆者未見)。(132pから)


自然を征服するのではなくて、それに合わせる。文明に身を委ねすぎた人間社会が忘れた自然への愛や敬愛。それ以外に、空海や安部公房、山下達郎、18代目中村勘三郎、スティーブジョブス、チェゲバラ、教育テレビに出ていたノッポさん、水木しげる、ローマのハドリアヌス帝と時空を越えて走り回るエセイである。


全員に共通は、周りからの評価基準に振りまわされずに、顕示欲やプライドに惑われされずに、雄としての想像力を縦横無尽に発揮して生きて欲しいという応援歌の本であった。社会や世間という帰属の概念に囚われずにね。ヤマザキ マリさんの住むイタリアからのメッセージでもあります。自省を込めて。雄の想像力なくして文明は生まれていないと、ヤマザキさんは語る。


そうそう、肝心の山下達郎さんについては、『空まで抜ける声を持った職人』というタイトルで、彼女が17歳で成田からローマへ一人旅するときに、ウォークマンに(The Theme From Big Wave)のカセットを目的地まで擦り切れるくらい聞き続けたと書いている。『新たな自分の人生の開拓に踏み込んだ私の細胞は、終始山下達郎さんの音楽で栄養補給をし続けていたのである。』(同書118)。1967年生まれで達郎ファン、そういえば去年のコンサート会場で筆者は最高齢に属するような気がした。来年はコンサートすると宣言しているから楽しみだ。蛇足ながら達郎バンドは名ドラマー故青山純の後を受けたドラムは小笠原拓海さんが担当で札幌北区出身。

  1. ヤマザキマリさんも千歳や札幌に住んでいたようですね。未だ未成年の彼女を海外の友人に預けた母親も凄いですが、彼女自身も見知らぬ外国で生きる事を選んだ訳ですから、これまでに語られなかった苦労も推測できますね。テルマエロマエも置かれた環境から生まれたわけですね。漫画が映画化される事が多い近年ですが、漫画は漫画のままが良いと思いますね。それぞれの読者のイメージが有りますからね。

    • 彼女の自伝を読んだことありますが、生活の苦しさで何度も泣いていました。テルマエロマエもシリアにいたとき遺跡でなんでこんなにお風呂跡地が多いのか疑問に思って、ローマ人の風呂好きヲヒントに書いたわけですね。
      漫画は積極的に読まないのでわかりませんが、3丁目の夕日は漫画とは知らずに映画を見ましたよ。

  2. 今では著名な人物も、かつては貧乏青年だったりしますね。あの世界の小澤征爾でさえ、若かりし頃、ベスパのスクーター1台をg外国航路の貨物船に載せて船員の手伝いをしながらイタリアに渡ったそうですよ。その当時の九州出身の船員さんから直接聞いた話です。その船員さんも退船してからは同郷の友人とお互いに札幌で新聞販売所を開業して、良きライバルでした。私は一時そのお二方のお世話になり新聞の勧誘や集金もしました。

    • 小澤征爾さんでさえ、そうなんですね。自分の力と強い夢が支えていたからできたんでしょうね。ホンダ技研の創業者も何度も倒産寸前に至り、そのときたまたま東京の三菱銀行の担当者がホンダの夢を語ったら
      ボンと融資をしてくれた。その恩義忘れず、ホンダ社員に三菱現行への恩を忘れぬよう伝えているという話です。私も懐に辞表を入れて出社したことがありましたが、兄が助けてくれました。倒産による焦げ付き
      でした。長く生きているといろいろありますよ。のんびり歩いている人もそうでない人も苦労はきっとどこかでしているはずですね。

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