イギリスのコラム傑作選「たいした問題じゃないが」(岩波文庫120p)に、ロバート・ウィルソン・リンド(1879~1949)の「無関心」について書かれていた。スポーツや趣味でもそうだ。サッカーJリーグのコンサドーレ札幌に興味・関心のない人も多いし、日本ハムファイターズに関心ない人もいる。まして、漫画や映画、芸能人についても全然、反応のない、むしろ「なぜ、そんなことに関心を持つの?時間の無駄ではないか」という人までいた。まったく関心はどうしようもなく多様で、若いときは政治問題でも全く関心のない人に腹を立てたこともある。自分の国にさえ関心を持たない人もいるかもしれい。ずっと天体望遠鏡で空を眺めて観測を続けている人たち。地球や宇宙の歴史を想像して。40億年とか50億年の宇宙誕生期に想像の羽を飛ばしているかもしれない。しかし、大きな仕事を成し遂げた人を見ていると、何かの無関心があったから、深い世界に没入できたといえる。深い穴を掘ると当然周りが見えなくなるのは必然で、そういう営みから発明や発見、想像性、独創性が出てくる。無関心であることの効用で人類は進歩してきたともいえる。

しかし、天才や非凡な才能のある人だけでなく日常の私たちの仕事も、実は「たくさん無関心がないと自分の今の仕事ができないはず」。フォイエルバッハという思想家が「人間に関係する出来事すべてに私は興味がある」と言って、20代の私は「そうだわ」と納得したが、いまなら「とんでもない、そんなことができるわけもない」と現実に仕事をこなしてきて、それもたくさんの無関心によって支えられてきたともいえる。中でも、家庭生活や子供のことに関しては妻に丸投げであった。

さらに、リンドはこうも言っている。「とにかく無関心というものからは逃れられない。我々が生まれる前から、何に対して無関心になるか決まっているようだ」音楽や詩や絵画、運動神経など考えると当たってる気もするが、どうだろうか?

  1. 確かに「感心事」は人さまざまですね。他人から押し付けられると、たまらなく嫌気が差すのも、自分の思う事との違いからなのでしょうね。知的障碍者と片づけられる人たちにも優れた才能が有ったりします。それも一つの事にかけてはハンパない才能の持ち主だったりします。ただ一般的なコミニュケーションが苦手なだけですから、それを理解できれば、その道の才能を生かしてあげる事もできますね。単なる変わり者だとか馬鹿だとか決めつける事で大切な才能を見過ごす事も多いはずですね。人間誰しも何か一つは飛びぬけた才能の持ち主と考えた方が正解かも知れませんね。

    • 発達障害という言葉を世の中に広めt精神科医(内海聡)が、なまじこの言葉を作って失敗したと後悔してました。考えてみると、ほとんどの国民はどこか発達障害だということです。広告マンさん、おしゃるように誰しも何かとびぬけた斎野が探せばあるので、いまではそれをアスペルガーとなづけられています。多くの医者の性格を分析するとどこかこだわりが強かったり、変な男や女の場合がほとんどです。精神科気も発達障害者多いです。なので外の人が発達障害に見えるのかもしれません。

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