TBSで「日本沈没」ドラマを見た。ドラマを見ない私もこれだけは見逃し配信で堪能。昔、読んだので当時書いた書いたブログを掲載します。テレビで青森から北と九州が沈没を免れる。脚本家が北海道出身だから!?

小松左京『日本沈没』(上、193p)、100歳を超える謎の渡老人が、海に沈んで行く日本列島を予感する田所博士に『科学者にとって、いちばん大切なことは何かな?』『カンです』言下に田所博士は答えた。『え?』と老人は耳に手をあてた。『何といったかな?』『カンと申し上げたのです』田所博士は、確信をこめていった。『おかしいとお思いになるかもしれませんが、科学者ーーーとくに自然科学者にとって、最も大切なものは、鋭く、大きなカンなのです。カンの悪い人間は、けっして偉大な科学者になれません』ここの部分は映像化されていなかった。

1973年に書かれて46年たった。私は映画で『日本沈没』を見たがパニック映画の延長で鑑賞していた。高倉健の『新幹線爆破』と同じレベル。NHK教育で100分で名著に『日本沈没』が取り上げられていて、気になって読んでみると、学会で異端児の田所先生が出てきて、政府に呼ばれ総理へ『為政者としてかなり覚悟を決めておいていただいたほうがいいかもしれん。・・どんなことが起こってても、動揺しないのが為政者でしょうが、とにかく私個人の見解としては、どうも相当なことが起こりそうな予感がする』(183p)気象、土地変動、海岸線の昇降、火山活動、重力変異、熱流量、地下温度分布、地磁気変動、海底の変動、地震の動きなどあらゆるデータをぶち込んで解析する在野の研究者田所博士が総理に直言する。同じデータを見ても、予測の場合、個々の科学者のカンの良し悪しが判断の根底に大事な要素として残る。自然現象に限らず、身近な事件も『カン』の働き具合が良ければ救えたことがたくさんあるはず。『日本沈没』に戻せば、文明論あり、日本人論あり、外交があり、潜航艇の詳しい仕組みや地球の成り立ちの40億年の話題もある。しかし、小松左京の原点は戦争と人間の本姓の残酷さ、一方に希望を置いて未来を築こうとする。守備範囲が広くて何でもありの『ブラックホールのような小松左京さんである』。濡れ場のラブシーンも上手で小野寺と阿部玲子との浜辺のシーンにはしびれた。富士山の噴火で亡くなったと思った阿部玲子が2部で小野寺とともに復活する不自然さはあるが、玲子はダンテ『神曲』のベアトリーチェに模しているかもしれない。ですか?小松左京さん?

1964年にパンデミックを描いた「復活の日」もある。もし、科学者のカンが新型コロナウィルスの変異体各種に効果あるワクチンを発見する人が出てくる可能性がある。

  1. 日本沈没ならぬ「世界沈没」にならなければいいですが、これだけは分かりませんね。最近のあらゆる現象を見るにつけSFが現実見を帯びていますからね。東京は先日震度5の地震発生でパニックでした。北海道に比べて豆粒ほどの面積に人口が密集。溢れる人たちは地下に潜り、地上の人たちは高層化したビルに吸い込まれ、それもオーバーフロー気味でようやく収容されているのが現況ですから危険極まりないですね。これからは災害に備えた街づくりが必要でしょうね。コロナ禍も手伝って都心から他県や軽井沢辺りに移住組も多少出始めましたが、根本的な解決方法にはなって居ませんね。超高層ビルやマンションのメリットは眺望なのでしょうが災害時リスクの多い構造をゼネコンはいつまで造り続けるのでしょうね。日本列島改造は既に過去の産物ですからね。これからは、造りっぱなしだったあの時代のメンテナンスに追われる時代に突入していますからね。一体どこからそんなメンテナンス予算が出るのでしょうね。後先を考えない政治家たちの功罪ですね。

    • タワーマンションは儲かるのですね。平面な土地を造成して戸建てをつくるとインフラを広い面積で施さないといけない。マンションだと縦関係だけで済みますから。高いところはメマイがする私としては平地で住み続けたい、しかし、除雪は嫌なので老後の住み方に困っています。日本は氷山にぶつかっていくタイタニック号だと言われています。借金と紙幣の擦り過ぎについてです。その先頭を日本が走り、後ろからヨーロッパ、アメリカや中国もついてきている世界経済です。資本主義の限界露呈です。

  2. 日本沈没を考えれば、どうせ壊されるならと悲観的になりそうですが、物を作ったら、いつか必ず壊れますが、壊れた時の事も考えなければいけませんね。つまりその時代の部材が未来えいご調達できるものなのかです。鉄骨や木材やコンクリートも劣化します。その点、ヨーロッパなどの建造物が何時までも残されているのは比較的劣化しない石を多用していたからでしょうね。当時は鉄骨などは無かったにしろ、そのお蔭で城も教会も美術館も競技場も大抵の建物が古いまま残されて観光資源となっていますね。昔の日本建築にしても木造とは言え太い柱や梁を多用していましたから今も文化財として残されるのであって建造物も長く残す事を設計理念にすべきでしょうね。それが限られた資源を大切にする結果にもつながりますね。消費時代の現代ですが、この辺りで次の時代に何かを残していかなければならないでしょうね。

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