『シン・ゴジラ』を見てきた。1954年が1作目だが再度レンタルして1作目から見ないといけない作品だ。『シン・ゴジラ』は会話が早すぎて意味を理解すべくのんびりしていると次の科白がやってきて、マシンガン会話。たぶん筆者は漫画を見ないので(絵)と吹きだし文字に不慣れなせいなんだろうと思う。ゴジラの映画はレンタルビデオ店で『ゴジラシリーズ』としてたくさん並ぶようになった。シン・ゴジラの大ヒットのお蔭である。私は小学生のころ、ゴジラよりザ・ピーナッツが唄う『モスラ』に心惹かれていた。だから、シン・ゴジラが都内を這うシーンはモスラの眉かカイコに見えた。そして脱皮する。

特に政府内での各省庁でのやりとりは、責任所在・管轄分野などを巡っての言論がリアルだ。日本はいつもアメリカの言いなりなんだからとゴジラを巡る対応に、首相の口からアメリカ属国発言も飛び出したりして、自衛隊の強力な支援のもととりあえずゴジラは静止する。シナリオをゆっくり読みたい気がした。エンディングは伊福部昭のゴジラのテーマが延々と流れる。

きょうは伊福部昭というゴジラのテーマ曲及び彼の人生を振り返るブログになる。エンディングはずいぶん長い演奏で、1954年の第一作目に使われた当時の音声そのままではないかと思った。釧路生まれ音更(おとふけ・十勝管内)と札幌育ちの作曲家伊福部昭(あきら)。伊福部とはずいぶん珍しい姓で、一説には『火吹く部』とか『火吹き部』から来ていて鳥取で火を扱う部族(たたら一族の頭)だとも言われて、先祖は鳥取の宇部神社の神官。

2000年続く古代の豪族出で天皇家に負けない系譜を誇り、古事記や日本書紀にも出てくる家柄だ。それが大和朝廷から出雲の国へ飛ばされ(諸説いろいろ)宇部神社で長年神官を勤めたのである。明治になって国家神道が明治政府により強化されたものの、伊福部家にはなんのいいこともなくて、伊福部の父親は一家して(家系図を持参して)北海道へ渡り、警察署長や音更町(十勝管内)の村長に彼の父親がなる。『老子』の素読も父親から命じられ、音更では、父親がアイヌを大事にしていて、伊福部少年はアイヌ部落へよく行った。アイヌの人から『おまえ、ほんとうにシャモ(日本人・和人)か?』と言われるくらい親しい交わりをしたり、彼の風貌であった。『老子』は伊福部家代々の学び(家学)でもある。

そこで聞いたアイヌの即興の歌や手拍子・踊りに強い影響を受けたと本人も述懐している。自身もアイヌに間違えられたり、自身のルーツの深さもあって、『暮らしに根差した土俗的な音楽、即興、声の出し方、外の自然と歌』に衝撃を受けている。このあたり、ゴジラの重層低音『ドシラドシラ』から『レドシレドシ』までいく『シ』で止まる音階を発明した。一度聴いたら、耳から離れないゴジラのテーマ曲だ。ゴジラの叫び音も楽器を合成しているはず。『シン・ゴジラ』はどうなのかわからないが・・・。東宝に聞いてみないといけない。

戦後、東京音楽大学の学長として黛敏郎や芥川也寸志の師にもなり多くの音楽家を育ててきた。黛敏郎は講義の中で『芸術家たるものは、道端の石の地蔵さんの頭に、カラスが糞をたれた。その跡を美しい思うような新鮮な感覚と心を持たなければいけない』とショッキング発言が終戦直後の大学で魅惑的に響いたと書いている。当時のクラシック界から見たら、北海道で独学で学んだ彼は異端の烙印を押され続けてきた。1953年音楽を作る人なら必読の『管絃楽法』出版。広島、長崎での原爆投下、第5福竜丸被爆(ビキニ環礁での水爆実験による)、チェルノブイリ、福島第一原発。核爆発は世界で4つのうち3つが日本だ。日本からゴジラが出てくる必然性はあるわけで、『日本が仮に滅亡しても世界はごジラと伊福部昭を忘れない』(片山杜秀)。原始の怒りがゴジラとその音楽にあるのではないか。戦中、理科実験中、伊福部昭自身、被爆して敗戦後療養もしている。

蛇足ながら、NHKの緊急地震速報チァイム(震度5弱)は、彼の甥伊福部達(とおる)さんが、NHKから依頼されて(シンフォニア・タプカーラ)の第三楽章・冒頭部が使われている。『チャラン、チャラン』。犬や猫もこの音を聞いて家から抜け出すと言われ、さすが伊福部さんの音は深いと再認識されている。動物の脳の深いところまで到達するのだ。


参考は河出書房 KAWADE夢ムック 伊福部昭。大映の『大魔神』も伊福部昭の作曲です。

 

  1. ヘターリスト。

    彼の音楽感覚に大きな影響を与えたのは、きっと幼少期から触れ合ったアイヌの方々からの影響でしょうね。他の音楽家には無い独特な感覚は民族楽器のムックリやトンコリの音色と自然環境での体験にあるように思います。彼らの楽器の根底には自然との深いかかわりがあるので、近代音楽とは一線を画しているのでしょう。ムックリの音色も自然の風の音に似て、トンコリの弦に使われる草の茎の繊維を撚ったものも、全て自然がくれた音源と言う訳です。電気仕掛けの楽器では出ない音の世界にごまかしはありませんね。自分も多少なりとも楽器を数種持ってはいますが、クラシック・ギターにしてもナイロン弦、トランペットやサックスにしても金管、キーボードは電子楽器。ブルース・ハープも金属製。唯一自然に最も近かったボンゴは手放してしまいました。アイヌの沖縄のサンシン(蛇皮線)など伝統的楽器のユニットなど見てみたいものです。きっと違う感覚を味わえると思いますね。

    • 坂本龍一が晩年、なんとか自然の音や声を音楽にしたいと述べてました。自然を模写する、自然を復元する、自然を感じること。風や空気や波や雨やときどき小鳥の声や、それを作曲できないか試行錯誤してましたね。言葉が発明される前は音や声が伝達・表現の手段ですからね。ユーカリもそうだし、ギリシャのイリアド・オデッセイも伝承(語りと記憶による)ですからね。そこにきっと自然音も伝わっていたと思いますね。アイヌや琉球にも民族楽器を通じてハートが伝承されていて、伊福部さんも幼少期から体感していたんでしょうね。

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