あまりたくさん選択肢があると選べない
同じカテゴリーの品物の種類が多過ぎると、迷ってしまって結局、何も買わないで素通りしたことはないだろうか?よく出される例がネクタイだ。何百本というネクタイを置くより、せいぜい50本やそこらの方が良く売れる。色もブルーか紺に統一するとさらに効率がいいらしい。選ぶ範囲をあらかじめ固定された方がお客はお金を出しやすい。
例外は、その道に通じているいわゆる通人だ。こだわりを強く主張する彼らは、しかし少数なので、大勢に影響はない。とはいえ、ネットを使えば拡散するからあなどれない。
コンビニは商品アイテムが限定的で、選ぶ余地があるようでないから売れる。しかも、スーパーより同じ商品が高くても売れる。歩く距離も少なくて済む。限られた売り場面積なので、メーカーの棚の取り合いは激しい。あの狭さと多くの商品を置けない限定性が売上を伸ばしているともいえる。
携帯電話各社の店舗面積を見てみると、さらに並べられているスマホやタブレットを置くスペースは狭い。決まったメーカーの商品だから、膨大な種類のスマホや携帯ではないから、客は選びやすい。大きな売り場のスーパーに入っても、食料品を除けば、単体の専門ショップの箱が積み上げられているだけで、小さな売り場を合計していると同じだ。
私は少年時代、近所の食料品店、豆腐屋、駄菓子屋、文房具兼本屋などで育っているので、狭い専門店が性に合う。デパートは苦手。敷居が高い。入っても地下の食品売り場以外は照明も派手で、すぐに売り子さんは来るし、行かない。貧乏性になってしまって、これだけは歳を重ねても治らない。学習するのは30代や40代で、50を過ぎると、少年時代の癖や好みが前面に出てくる。メッキがはがれて地金が出てくる。
読む本も、借りるDVDも似たような傾向(実は趣味のコアな部分)で、ひどいときには前に借りた映画を再度借りることになる。選択肢がたくさんあっても、初めから、選ぶ範囲(ジャンル)を限定してお店に行くと選ぶのは楽であるが繰り返し選ぶ癖が出て、冒険が無くなる。人間は楽と苦の十字路に立つと楽な道を選ぶ傾向があるが、たまに苦を選んでみると新天地が開ける。自分で考える以上に自分にいろいろな能力が備わってることがわかる。
例は悪いが、私が29歳のとき勤めていた会社が業績不振で31歳の女子社員が解雇された。それで筆者に「労働組合をつくって委員長になって」と他の女子社員たちから言われた。組合を作り、1年間、札幌地裁で民事裁判をすることになった。裁判に勝って彼女は職場復帰したが、私は精神的に疲れて退社。数社の会社を転々、定年まで勤められる会社をようやく33歳で見つけた。
無数に勤められる会社があっても(選択肢あっても)選ぶのは一つ。当たり前といえば当たり前だけど、辞めると一瞬、自分の前に無限の可能性が広がるように錯覚するが、実はそれは苦を選択してる場合も多い。一つを見つけるまでが大変である。見つけるまでにたくさんの偶然が介在している。筆者が定年まで勤めることになった会社は30歳までの求人であったが、電話をかけると「営業経験者なら履歴書を出すだけなら出して」と返事。アバウトな総務の人が出てくれたおかげで、面接を経て採用された。思い立ったら吉日。このときの選択肢は「履歴書を出すか、出さないか」二つに一つだったから出すに越したことはない。結果は神のみぞ知る。が、それによって害があるわけでもない。次に進めばいい。
アドマン。
選択は二つが最適ですね。プレゼンテーションの場合ですが、作り手側の私としても限られた時間や短期間内で提出作品や企画書を作成するには「数打ちゃあ当たる」とは行きませんから最高でも二点に絞ります。その方が内容も集中して考えられるのと、選ぶ顧客側としても選択が楽だからです。つまりAか?Bか?で第一次選考していただいた後に双方のいずれかに絞られた案を更にアレンジして完成する手法です。その逆に多数の選択肢を用意すれば意見が分かれ決定までに相当の無駄な時間と作業ばかりが増えてしまいます。目的がはっきりして居れば、そんなに多くの選択肢は必要無いと思います。ショッピングだって同じで数の多い選択肢を見せられると、つい思い付きで無駄な買い物をしがちで、肝心の最初の目的さえ忘れてしまう事さえ有りますね。普段のショッピングも、最初の目的を立てたなら、迷わずその商品だけを選ぶのが賢明でしょうね。私は買い物には必要なモノを書いたメモを持参します。それでも、つい無駄なものを買う事も有りますからね。売り場は誘惑だらけですね。
seto
2日に1回はスーパーで買い物をします。商品の陳列棚を覚えてしまって、足はスイスイ動きます。チーズはこれ、牛乳はこれ、パンはこれって決まっているので迷いがないのですが、買い物がマンネリするときは隣町のイオンへ行ったりします。代理店にいたころは、プレゼはデザイナーを同伴させましたが、郵政局で3000万のプレゼ(●●市でイベント案)は。A41枚で恐竜博(どこかの町で実施したミニ博)をパクッテ書きました。見事に落選。何でもよかったのですが、自分が恐竜好きなの、それで書いたわけで、プレゼ費用がゼロ円では絵すらかけません。たくさんの選択はあっても自分の好みを中心にするのが気持ちいい選択ですね。結婚相手にもこの法則が通じるのかどうかわかりません。
坊主の孫。
最近では婚活にネットでのマッチングアプリでお互いにパートナーを探しあう時代にさえなりました。我々古い人間にはネットの情報など信用できずにアプリなどで探そうなんて気持ちになど到底及びませんが、その方法でゴールしている若者たちも多いようですね。恋愛も結婚も「選択の時代」になったようですね。合コンなどもその一つなのでしょう。これまでは何かの組織やグループでの飲み会で知り合ったとか、誰それの結婚式で出会ったとか、友達の紹介であったり、何かのサークルだったりと間接的とか偶然の出会いが主でしたね。今はダイレクトに自らが相手を選ぶ優位な立場で、まるで手あたり次第のショッピング感覚ですね。人生の大切な一大イベントですから、それも有りかも知れませんが、時代も大きく変わってしまいました。
seto
なるほど、ショッピング感覚でのマッチングアプリ利用ですか。顔や人間臭や声や動作や、彼(彼女)の横の人間関係もわからず、出会って付き合いますね。私など信じられない世界です。ネット広告でも相手探し広告が増えています。私の時代はペンフレンド募集でした。手紙を書いて、写真を送り文通してました。文通なんていう日本語は死語になりました。それなりにまじめに文章を考えて送ってました。書く文字にしても性格が出るので、相手を知るのにもよかったですよ。