存在の耐えられない重さ=夫
私が住む団地周辺は現役より定年後の暮らしをしている人が多い。夫婦が元気なら動けるうちは働いたほうがいい。どちらかが体力低下やリハビリで送らないといけないならいたしかたないけれど。
存在の耐えられない重さ=夫。
連休は2階に生息していた私であるが、買い物は運転手&お手伝いをしているが、さすがに長居をすると(自分名義の家屋ながら)、夫は『存在の耐えられない重さ』になるみたいだ。子供はまだかわいいから耐えらえる!?しかし、仕事を抱えてさらに子供のごはん作りと買い物、エンゲル係数急増なら奥さんのイライラ感も募るというもの。そこにいま流行りの自宅での仕事をする夫がいたとしたら、奥さんが一人になれる『聖域』が消えてしまう。ワンフロアのマンションなら数日ならまだ我慢できるが、これが長期間となれば夫へ『どこかに出て行って、私を一人にしてくださいな』という妻の言い分もわかる気がする。
妻も自宅でリモートワークなら自宅に二つの企業の営業所ができたようなもの。家賃を払い、子供の習い事、食費、各種ローンあれば、未来の資金設計の展望が夫の勤め先が売上縮小なら不安倍増だ。一寸先は闇の世界が広がっている。27歳でようやく正社員で働いてきた私。大学に7年間、籍を置いてバイト三昧で過ごしてきた。自宅から夫の存在の耐えらえない重さですね。ガレージがあればその中に逃げるとか,物置を改造するとか、近くに親の家があれば部屋を借りてWi-Fi環境にするのもいい。しかし、世の中そううまくはできていない。もともと夫婦仲が良くなかった(震度1)のが、自宅勤務で不満爆発(震度4)とでも解釈したほうが自然な解釈かもしれない!?これを言ったらおしまいかも。また、こういうのはどうだろう?妻の言葉の射撃砲に耐えらえない夫たち・・・でも話は通じる。怖い怖い、愚痴のブログでした。
サラリーマン経験者。
夫婦も、いつしか?何故か?婦夫になって居ませんか?夫には付かない主語『主』が妻には付くのは?半ば暗黙の常識『主婦』ですね。若い頃は共働きも子供の成長と共に専業『主婦』に変身!。企業ならば統括部長とでも言える切り盛りを自ら引き受けて命令系統のラインを自ら構築。いつしか家庭のトップに君臨します。悲しいかな?夫は従順な部下に成らなければ家庭崩壊しますから否が応でも従う訳です。心の底では不満を抱えながら。妻は気分の高揚が生きがいに。『私が居なければ・・・』とばかりに大活躍。夫としては?何故一銭も稼がないのに仕切られるのか?と不満が有っても、それを口に出せばお終いと分かって居るから自ずと大人しいふりをして猫を被ります。家庭はまるで会社同様ですね。管理職と営業部員の関係にも似ていますね。サラリーマンの頃思ったものです。小煩い支店長(かつては稼いでいた)が会議で営業担当に高圧な態度で売り上げ予定報告を強要していた事に内心ムカムカしながらも従順な態度(ふり)をしていた事を思い出しますね。夫たちには、そんな経験が生きているのかも知れませんね。
seto
夫という漢字が先にくるのも考えてみるとおかしなことで、婦夫でもOK。フフフと笑ってしまいますが。男女もそうで女男でも。老若男女も、若老でもいいわけで、長い長い男尊の社会と気風があったのでしょう。英語でもMENは男でWWOMANは女。人間や人類はMENです。女性が家庭のトップにいると、財布も預けておくと楽ですね、安心します。小遣いをいただきます。小遣い少ないと会社の経費を計上したり、横領したり、キックバックさせたりして遊び金を捻出します。毎月毎月ゼロからの数字づくりをしていましたね。35年間してました。部下の数字にも目配せして、数字ない人にはスポンサーを移動しました。営業同士のやっかみもすごかった!家庭の中ではこういうことはありません。会社の中でのストレスがいろいろ病気の誘因になったのではと思います。夫婦間ノストレスが病気になる原因にならぬよう注意したいものです。男は自分の下半身をしっかり自己管理していかないと周りに迷惑をかけます、ジャニー喜多川もそうだし、お笑い芸人たち、政治家、財界の人たち、警察や教員、官僚の世界もそうです。ペニスの勢い、鳴りやまずですよ。中國でなぜ、宦官という制度をつくったのか、なかなか考えさせられますね。大脳と妄想とペニスの相性が良すぎるから、回線を切ったのかもしれません。仮説ですがどうでしょうか?
流浪の民。
男はつらいよ。だけれども、女もつらいのよ。と、男と女はなおつらい。とどこかの歌にも有りますが、男と女は情にほだされ、つい一緒に暮らし始めたはいいのですが、時間の経過とともに、お互いの本性が現れ始め、自我も現れてそれぞれがぶつかり合って、最悪の場合は離婚にまで発展しますね。そもそも結婚は生い立ちも性格も違う者同士が同居から始まる訳で、若いうちは見えなかった(見ない様にしていた)部分も、お互い意識し始め、それも理解しあう場合は別として、一向に交わらない平行線上での暮らしですね。お互いに離婚しないなら我慢が必要でしょうね。言いたい放題、やりたい放題の性格の人は初めから結婚しない事が賢明ですね。相思相愛と思っても、時間経過とともに変わることも考えられますからね。お互いに余り期待し過ぎない方が良いでしょうね。所詮は他人同士の共同生活に違いないですからね。もし子供が出来たとしたら、出来た子供に罪は有りませんから、せめて子供たちには悲しい思いをさせない事でしょうね。
seto
他人同士の共同生活だと思えば結婚観、楽ですね。籍をいれなくてもいいし。男同士女同士でもいいわけだから。憲法でも結婚を男女合意・・・という文をふたりの合意に変えれば済む話。一人で生まれてきて一人で死んでいくだけの人生ですからね、すべての人。孤独になるとすごく楽になれます。仕事をしていたときも懸命に企画書書いたり、一人で営業に行ったり、ときにパチンコ屋さんに立ち寄り、疲れたら喫茶店で読書。そういう習慣があって家庭に舞い戻っても、孤独が楽ですね。ブログ書いたり、流浪の民さんのコメントに返信したり、明日のブログどうしようか考えたり、朝日新聞の「折々のうた」を書いている鷲田清一さん、ずっと休載しているので病気なのか心配です。私は過去のブログの再掲載多いからいいけれど、毎日毎日書くのは超人的な忍耐が必要で命を落とすこともあります。継続は力なりと言いますが、ときに健康を害してしまうこともあります。結婚生活も無理な継続は離れてしまうほうが健康にいいと思います。