50歳のときに急性心筋梗塞で倒れ、産業医の誤診のおかげで心筋の30%を壊死させてしまった筆者であるが、疲れやすいのは60歳を過ぎて顕著である。しかし、主治医が言うのには、『疲れたら横になる。横になると心臓の動きが穏やかになり、負担を感じないで血液を送ってくれて、水平になればなるほど心臓は喜ぶ』という言葉だ。母親のおなかの中から心臓は動き出して、死ぬまで鼓動を打ち続ける驚異の臓器、心臓。時速約200キロのスピードで血液を全身に送るのだから、彼らものんびりする時間が欲しいというもの。横になる睡眠が一番好きらしい。
垂直に立つ姿勢は、血液を上下に走らせるから心臓の圧力も高くしないと足先まで行かない。カラダが水平になると川の流れのようにスムースに血液が運ばれて楽になる。ベッドに横になる昼寝が最近多くなったのは、心臓が老化して休みを私に求めているのだと解釈している。魚や動物に心臓という臓器がないと一日として生きられないが、庭の植物や樹木には心臓がなくても生きられる。地下から水や栄養を吸い上げて日の光で成長する。生き物の戦略からすると植物のほうが賢く思えるのは私だけだろうか。しかし、植物は動けない。そこで咲くか、種を遠くへ飛ばすか、虫に受粉させるか、他の動物に食べられるかの運命である。これも考えてみると悲しい。
心臓の話からそれてしまったが、焼き鳥屋では鳥の心臓を食べる。インカ帝国ではいけにえの人の心臓を太陽に供物する習慣もあった。心臓をハートというのも、ハートを心と翻訳するのも、人間の本質はハートにあるという神話(?)でルネ・デカルトも、心の場所を心臓に置いた。最近は、特定の部位が人間にとって大事という理論より、全体が全体を支える考え方が主流である。心臓にしても大きさ的には自分の握りこぶし大ではあっても繋がる動脈や静脈があって、さらにピクピク動く心筋と神経があって臓器の役割を果たすので、どれか一つが狂うと全体が止まったり、狂う。そのバランスを取るためにも、心臓に休暇を与える『水平になるということ』『寝るということ』は、生きつづけるため必要なことはいうまでもない。硬い板間でもいい、横になろう。
