閉じられる仏壇。

同じ価値観(実際はこんなことは100%あり得ない。なぜなら育ちも環境も違うところで育つ人がお互いどこかで必ず違う感性や意見は形成されるものであるから)であるかのように生きてる人はどこかで自己欺瞞をしている、無理をしていると思うと間違いない。

身近な夫婦であってもそうで、父が亡くなって、小さな仏壇を買い、老人ホームの母のベッドの横に置いたが、いつも扉は閉められていた。私はそれを開けて、父の写真(これも顔が見えないよう後ろ向きにしてあった)をこちらに向けた。ジュースを買いに行き、戻ると、仏壇は閉じられていた。電池の入ったろうそくを点けて私は再度、扉を開ける。二人の間に一体何があったのだろうか?いつからこんな事態になってしまったのか?

夫婦喧嘩をしているところは、筆者は見たことはなかったので、ショックであった。私を含めて子供のいないところでしていたのかもしれない。ただ、父の通夜が終わって母はさっさと自宅に戻った。喪主は会場にいるものであるのに告別式の次の日、母と私と二人だけになったとき突然、大阪の女学生時代に海軍の人との淡い恋について語りだした。神戸港から出港して還らぬ人になったが、最後に母に通帳と印鑑を渡した。造幣局の桜についても語りだした。デートしたのだろう。

この話は何回も聞いたことがあるが、父は知っていたのだろうか?これは二人がお見合いで結婚する前から母には強烈な記憶としてあっても、それを封印して生きてきた。父の死をきっかけに、その思い出が、思い出だけが前面に出てきて母を支えてきたのだろうと思うと、夫婦の深い溝について思わずにはいられない。父は小学生時代に母親を病気で亡くし、父親だけに育てられ不遇な少年時代を送ったせいもあるかもしれない。満州へ渡り、引き揚げ時、子供を中国に置き去りにする親たちも見てきた。そしてそれを語らない。母から聞いただけである。父の強烈な記憶は満州、母の記憶は神戸港での還らぬ人との初恋。

第二次世界大戦がどこの家庭でもそうだと思うが、人生を横断している。そして死ぬまで引きずる記憶になって、生き方や死生観を育てるものである。それぞれが、それぞれの忘れ得ない記憶を抱えて生きている現実。踏まれた人は踏んだ人を忘れず、大事に育てられた人はその恩を忘れず誰かに返し続けるかもしれない。閉じられた仏壇から、個人の記憶の深さ、かけがえのない記憶が持つ人生観と夫婦。時代は変わっても、それは学校でも企業の中でも今でも日々起きている。気がつかないだけである。