2021年のキーワードは知恵だ(投稿原稿)

筆者の庭で撮影

「知恵」という言葉は、近年あまり使われなくなりました。
また意味も通じにくくなり、「知能指数」「知識」「思考力」のことと
とらえる人が増えました。学歴社会なので仕方ないのかもしれませんが。

知恵は、昔の日本人から特に大切にされていました。
知恵には、頭の良さや知識の豊富さとは全く関係がない、
誰でも身につけることができる、
人から人に伝えることができる、などの特徴があります。
頭の良い人だけが理解できたり、難しい言葉でなければ伝わらないのは
「知恵」ではないわけです。
昔の説話も、この「知恵」をテーマにしたものが多く、
知能や知識の劣った相手から知恵を授かる話も多くあります。

「暮らしの知恵」も知恵のひとつで、例えばエノキダケは袋ごと根本を切ると
作業や後始末が楽ですが、こういう知恵は、些細なことですが
多くの人がすぐ理解でき、実践できます。
また、桂枝雀師匠は噺の枕で「旨きもの、食わせる人に油断すな」と
言ってましたが、これも人生の知恵です。
昔は、こういう知恵を沢山身につけ、必要な時に取り出して見せられる人を
「知恵者」と呼んで尊重しました。さしずめお釈迦様がその筆頭ですが、
お釈迦様が知能が高かったとか、本の知識が豊富だったという話はありません。
もしかしたらちょっとそのへんが劣ってた人だったとしても
後世に伝えられるほどの知恵者ではあったわけです。
逆に現代の評論家などは、知識量は豊富ですが、知恵者だと思える人はいません。
「知恵」は、支配者やインテリのような「情報強者」から魂を守るための
庶民の武器だったのでしょう。

明治の文豪の、誰だったかは忘れましたが、
田舎から東京の大学に行くことになったとき
かわいがってくれていた老婆から
「ぼっちゃん、東京の大学へ行くのはやめなさい。
あそこに行くと、みんな馬鹿になって帰ってくる」
と言われたという逸話があります。
こういう老婆も、理屈にとらわれず本質を見抜いた知恵者だったのでしょう。