
「知恵」という言葉は、近年あまり使われなくなりました。
また意味も通じにくくなり、「知能指数」「知識」「思考力」のことと
とらえる人が増えました。学歴社会なので仕方ないのかもしれませんが。
知恵は、昔の日本人から特に大切にされていました。
知恵には、頭の良さや知識の豊富さとは全く関係がない、
誰でも身につけることができる、
人から人に伝えることができる、などの特徴があります。
頭の良い人だけが理解できたり、難しい言葉でなければ伝わらないのは
「知恵」ではないわけです。
昔の説話も、この「知恵」をテーマにしたものが多く、
知能や知識の劣った相手から知恵を授かる話も多くあります。
「暮らしの知恵」も知恵のひとつで、例えばエノキダケは袋ごと根本を切ると
作業や後始末が楽ですが、こういう知恵は、些細なことですが
多くの人がすぐ理解でき、実践できます。
また、桂枝雀師匠は噺の枕で「旨きもの、食わせる人に油断すな」と
言ってましたが、これも人生の知恵です。
昔は、こういう知恵を沢山身につけ、必要な時に取り出して見せられる人を
「知恵者」と呼んで尊重しました。さしずめお釈迦様がその筆頭ですが、
お釈迦様が知能が高かったとか、本の知識が豊富だったという話はありません。
もしかしたらちょっとそのへんが劣ってた人だったとしても
後世に伝えられるほどの知恵者ではあったわけです。
逆に現代の評論家などは、知識量は豊富ですが、知恵者だと思える人はいません。
「知恵」は、支配者やインテリのような「情報強者」から魂を守るための
庶民の武器だったのでしょう。
明治の文豪の、誰だったかは忘れましたが、
田舎から東京の大学に行くことになったとき
かわいがってくれていた老婆から
「ぼっちゃん、東京の大学へ行くのはやめなさい。
あそこに行くと、みんな馬鹿になって帰ってくる」
と言われたという逸話があります。
こういう老婆も、理屈にとらわれず本質を見抜いた知恵者だったのでしょう。
