大停電から学んだこと。

大停電から学んだこと

9月6日から8日くらいまで、北海道全体が真っ暗闇になって、古代の北海道に戻ってしまった。ある時期から焚火が禁止されて、昔なら、あちこち落ちている薪や葉を拾って、火を起こすライターやマッチはあるわけだから、臨時的にこういう場合は焚火OKという条例でも欲しいところ。そうすれば火の回りに隣近所の人たちが集まり、ワイワイ楽しい集いができるというもの。

孤独感や寂しさが減り、普段付き合いのない人たちが余震が来ても、耐えられる仲間たちに囲まれて、おしゃべり時間開始である。『大停電の夜に』という日本映画があったが、都会のろうそく屋さんでは、恋が芽生えるかもしれないが、土砂崩れで死者も出て、液状化現象で家も傾き、余震が続く中で、焚火を囲んでの世間話は勇気をもらえる時間かもしれない。ニューヨークでも有名な大停電があって、そのときは子供がたくさん生まれたという話もあるが、今回の停電で、いかに私たちの暮らしが電気に拘束されて生きているかということだ。

固定電話機も電気があって初めて機能する。使えるのは電池で動くラジオだけ。ローカルFM局は、後で聞くと自家発電能力が低くてダウンしたとも聞いた。ラジオを聴いていると、こんなに道民が優しくなったと思った。『○○で水が配られている。○○では停電だけど外で食料を売っている。』とラジオ局にメールが流れて、アナウンサーが読み上げる。透析患者のいる病院を優先に順次、送電を開始する予定とかも。

そして一番大事なのは、スマホ充電であった。札幌駅や市役所はコンセントを限度いっぱいつけて市民と特に観光客へ開放したが、それでも長蛇の列は終わらない。町内の話ではあちこちで、バッテリーの貸し借りが行われていた。車からスマホや携帯に充電させていたのである。私の携帯へも兄から友人から心配メールが来ていたが、返信するとバッテリーが減る、しかも9月8日は中学のクラス会。幹事としてホテルとのやり取りや、20名の出席者へ中止のメールや電話で私のau携帯はバッテリーダウン寸前。妻のドコモ携帯を借りて、中止電話をかけまくった。『しばらくクラス会はしないことに決めた』疲れた。

このままいくと泊原発再稼働の動きも出てくることが現実味を帯びてきた。地震の影響は札幌市の中央区は被害が少ない。会社の事務所も私の取りつけた時計が落ちただけである。山鼻地区も地盤が固い、南区も。それに反して東区や北区は泥炭地で地盤弱い土地が多くて揺れた。北海道では珍しい内陸の活断層直下地震であるが、活断層は日本中にあるので安全なところは一つもないといっていい。

世界で起きる地震のエネルギーの10%は日本列島で発現している。札幌市内はいまホテルラッシュが続いている。西鉄や福岡の会社もホテルを初めて着工している。インバウンドねらいだ。果たして満床になるほど中国や韓国・台湾、アジア各国から観光客が戻るかどうか。地震もさることながら北電が起こした停電の人災の側面が致命的であるが、日本中で今後起きることかもしれない。最後に忘れていたが、JR千歳線でディーゼル車2両が走っているのを見た。電気に頼らず、煙を吐いて走る姿に感動した。電化に遅れた地方で走っている車両を停電のときはもっと活用できるのではと思った。一番、遅れたものが実は先頭を走ることもあるのだ。