まだコロナに感染していないのかい?

近所の毒舌家がいつもの時間に我が家の前を通りながら『まだ、コロナに感染していないのかい?』『コロナウィルスが私を嫌っているのでね』。2月から8月の連休前まで1週間に3回、通勤していることを知っている町内の助っ人ボランティアMさんだ。非力な私のために松を切ったり、芝刈り機を直してくれたりする。冬になればひとり暮らしの年寄り家庭に赴き除排雪をする。お礼は絶対受け取らない。筋肉量少なく軟な私はコロナ菌から見たら格好のえさに見えるかもしれないが、好きなものを食べて、好きな映画を見て、ブログ書くために図書館通いして、札幌に行けばおしゃべり相手に事欠かない人生。酒も飲まず、さっさとJRで帰る。娘の住む大分の町でコロナ感染者1号がある部落の主婦に出た。見知らぬ人から『この町から出ていけ』コールを受けて遂に引っ越しをした話を娘が先週していた。感染者の家に『お菓子やカップ麺でも置いて励ましてあげればいいものを、本州はまだそういう排他的な村感覚を持っているのかね』と私は娘と話した。そういえば娘が大学生活を京都で送っていたとき、ゼミで親しくなった肉屋の娘さんがいた。親友の付き合いをしていて、お父さんもうれしくなって神戸にドライブやら学生では高くて買えない高級な肉をもらったり楽しい付き合いをしていた。卒業してしばらくして『彼女、荒れた暮らしをしているみたい』と報告。きつい京都の差別・部落だねと私。『そんな差別されるのだったら北海道に来て働くように言ったら?』と私。元々、ロシアの南下政策に対抗して北の防備と開拓を兼ねて、明治政府が貧しい藩に赴いて『北海道移住を推進する演説会』を各地で開いた。私の先祖は徳島県から余市へ移住してきた。貧しかったり、差別されたら、中には人を殺めて逃げる、失恋して北へ向かう人もいるかもしれない。何でもOKだ。とにかく森を切り開く、道路をつくる、石炭を掘る、ニシンを獲る、何でも人手が必要だ。ウェルカムである。今でも近郊の農家やリフォーム会社や食品製造会社は常時、募集している。災害や地震や水害の恐怖から少しは離れられるし、何より生きるための食が豊富。奈良県から来たテレビ局の社員と話すと『奈良は大嫌いだ、狭くて排他的で干渉や噂がひどい。札幌はその点、自由で大らかだ』と。そういう風土ではあるが、果たして私がコロナ感染者になった場合、周囲がどういう反応をするのか?わからない。助けてくれる人はいるのかどうなのか?コロナは既成社会の差別構造を浮き彫りにする。社会学・民俗学・政治学・精神病理学・メディア論を動員して優に2本くらい卒業論文を書けるテーマだ。2本ではなくたくさん本を書けるかもしれない。ただ、他人事のように発言することだけは辞めて欲しい。テレビで医療現場で働かず、ギャラで生きるにわか芸能人的感染症疑似インテリ集団はサヨナラだ。