「未来は未来で予想外ではあるけれど、20世紀初頭から1950年代にかけて興隆したSFに、プラスティックという素材が人類の生活において占める位置の大きさを予測した作家が誰もいなかった。(中略)フィクションや未来のなかの自分をイメージするとき、我々は自分の知っている知識や経験だけを基にしているんです。しかし、未来の原料は我々の知っているものとは限りません。そういう例は限りなくあります」(ジャン・クロード・カリエール)。
9月30日の「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」の中に書かれてある印象的な発言のひとつだ(75p)。可塑性があるがゆえにあらゆる金型に流し込んで枠を作る。スマホや携帯・パソコン・テレビの外枠やら100円ショップにある製品の多さにびっくりだ。はじめ柔らかくて固まるとハードだ。カメラもそうだし、SDカードの外枠もプラスティック。デジタル世界をプラスティックが支えている。
しかし、上の引用文でいくと、自分の経験や知識にはない原料の出現も考えられて、突然、文明の反転が出てくるかもしれない。その素材を私が知るわけもないけど、自分の肉体のような気もしてきている。たとえば遺伝子だったり、細胞だったり、髪の毛だったり、こういう場合、意外と身近な素材が出てくる可能性もある。素材の発明史で特質するのはやはり、獣の皮、樹木や紙や火薬、鉄、石炭、石油、ウランそして植物(薬草探しを世界でしていて薬の大発見につながる)
素材そのものもあるがそこから発明が出てくるわけだが、気づくのは、結局武器への転用を第一位に人類はし続けていること。なぜだろうと考えると、結局、大きな資本(お金)がないと、素材を加工したり、物づくりが大量にできないというあたりまえの現実にぶつかる。世界史年表を久しぶりに開けて読むと、古今東西から現代(未来へ)まで戦火の止む時がない。年表には書かれない、もっと血なまぐさい部族同士の戦いもあったろう。記録されない戦争や殺し合いの方が多いかもしれない。
現代は「国境線の変更は、必ず血をみる」という現実。地下資源が原因でなくても水だったり耕作地だったり、女性の取り合いもあった。しかし、近代国家の国境線はアフリカ・中東はイギリスとフランスが最も犯罪的な線を引いたり、アメリカもメキシコからカリフォルニアを強奪した。ドイツやイタリア・日本は遅れて参加、第二次世界大戦の陣地取り戦争を起こしてしまった。
素材の発明史から離れるが、素材の発明を見ていると血の匂いがべったりくっついている。たぶん私は軍事アレルギーなのだ。このアレルギーを大切にしたい。


