「市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です。」(山下達郎)

 

山下達郎の言葉だ。バンド仲間の紹介も丁寧だし、彼のステージを何度も見ているが、音量調整をするミキサーや照明、ステージを運び作る美術の人たち、運営をする興行会社の人たちへの気配りが素晴らしい。

それは立川談志が落語の終わった後、長い時間、頭を下げ続けるシーンにも重なる。DVDしか見てないけれど。市井のそういう人たちが実は舞台も作ったり観客でもあって9000円近い木戸銭を払い、駆けつけてくるわけだ。達郎さんも頭を下げる時間は長いし、お客に手を合わせる癖がある。しかし、眠っている客に向かって、「聞かないなら帰ってくれ」と物申す人でもある。

達郎さんのマニアック・ツアーでデビュー当時、佐世保の広い会場でお客しょぼしょぼの中、演奏した2曲を初めてステージで披露した。「この曲がトラウマというか演奏すると当時のことが思い浮かんでダメでしたが、きょうは頑張ってやります」と。記憶って成功の記憶より失敗の記憶が深く残る。博奕は逆に大儲けした記憶がいつまでも残るのはどうしたわけか?記憶野が違うのか?大脳の同じ部位なのか違う部位なのか?

朝日新聞2015年8月8日の記事でも、1974年5月11日(こういう日付は忘れられない)、京都のライブハウスで演奏の合間に曲紹介を始めると居眠りしていた客が「もう、やめエ、お前ら京都に来るな」とヤジられたが、最後まで演奏した。

落ち込んだ彼を聴きに来ていたギタリストが「この店で一番怖い外人客がノリノリやった。だから心配あらへん」と励まされた。「クリスマス・イヴ」にしたってJR東海がCMで使わないと、アルバムの中に埋もれた1曲にしか過ぎない。

いい曲であっても、世界中で埋もれている音楽は山のようにある。素晴らしい人格者でも市井に埋もれて黙々と生きている人々がたくさんいる。あなたの周りにもきっといるはずだ。立派な本を書いているから立派な人ではない、立派な肩書があるから立派な人格者ではない、ノーベル賞を取ったからといって立派とは限らない。芸能でもスポーツでも学問でも政治でもそうだ。

無名であっても(ほとんどそうだ)「市井で黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です」(山下達郎)

そこで先週のサンデーソングブックでのジャニー喜多川さんに関わる発言。性加害はあってはならないと言うものの、現実に起きているニユースは被害者が顔出し告白をしている現実。一人の人間の人格はたくさんの要素からなっているが、基本は「自分の現在の立場主義」でほぼ現実は貫かれている。達郎さんの立場は「ひとりの楽曲提供者」に尽きる。社会の中で生きるとはそれだけだろうか?音楽や芸能の世界に社会があるのではなくて、社会の中に音楽や芸能がある。しかも音楽は自分に「縁」のない人や「国にも」広がる。聞きたくない人でもTVCMやパチンコ屋さんでも聞こえてしまう社会性を帯びている。あなたが災害や戦争が起きたとき「音楽が果たして平和や災害を受けた人たちに何かできるだろうか」といつもステージで自問していたのを覚えている。そういう自問をお持ちなら「性被害を受けられた人にジャニーズ事務所および仕事をしていたスマイルカンパニーでな自発的な活動(基金の創設など)できないだろうか」。そこへ進むのは亡くなった坂本龍一さんを思い出せばできると思う。江戸っ子は談志さんもそうだが気が短い、達郎さんもね。性格がそうそう変わるわけはないから短気でもいいけど、ファンに向けては吐いて欲しくない。こどもの基本的人権は「恋愛事」より大事かもしれません。

大分イイチコホールで購入

ことしのライブは39本あるなかでまだ6本しか消化していません。7月20日の京都から11月6日の沖縄までまだ32本ツアーが続きます。いろいろ心境の変化も旅をする中で出てくるとは思います。それ以上に企業と密接な広告代理店が、どういうような動きをするかでCMにも影響が出てくると思います。現在の日本社会のSNSの異様な脊髄反射的な丁寧ではない日本語の数々の嵐が吹いています。お互い傷つけあってエネルギーを消耗している現実です。国際連合の人権とビジネス部会が性加害の実際を調査と聞き取りに来ます。子供の性加害、子どもの人権に私を含めてもっと意識的にならなといけませんね。