リサイクルショップでイタリア製のバックを3000円で購入した。肩に掛けて知り合いの学校を訪問。するとそこの代表がめざとくカバンを見て『いいバックだね。僕はカバンマニアで。そのバック、売ってくれない?』と言われた。バックを売ってくれといわれたのは初めての体験だ。思い入れもないので売った。
かばんマニアは女性のブランドマニアとは違って、別にブランド云々はどうでもよくて、使いやすさ・素材の良さに惹きつけられるらしい。カバンに限らず、誰にもマニア(愛好癖)はあるもので、普通、性的な意味で使われるが、それ以外でも応用の利く言葉だ。
昔から収集家という言い方があるから、男の場合、収集するのが好きななコレクターだろう。切手、昆虫、鉄道、プラモデル、コイン、映画パンフ、マッチ箱、レコード。雑誌や本、オーディオマニア、バイク、カメラ、ライター、時計、ワイン、化石や石ころ、大リーグのキャップなどキリがないくらいいろんな分野で収集家はいる。1点1点に収集までの物語がある。元祖ロリコンの語源『ロリータ』を書いた亡命ロシア人作家ウラジミール・ナバコフもいたけれど。少女の収集は犯罪である。どうして男は集めたがるのか?何か欠けているところを穴埋めしたい願望があるのかもしれない。
女性の収集家はブランド物や西洋骨董・プリキア物や熱烈なアイドルのグッズ以外、意外に少ない。なぜだろうか?私は収集癖はないが(?)、整理整頓が下手なので一見、外から見て集めているように見えるらしい。CDや本や新聞切り抜きなど。集めてもいずれ死を迎えるわけで、それを残された人間が処分するとき『残額のある金額の預金通帳』『金の地金』『株券』『地価の高い土地』『貴金属(本物)・ブランド時計』は金になるから、形見分けでは人気が高い。形見でもらってもいずれそれを捨てる時期が来るんだけど。一時、それを忘れる麻薬が遺産だ。
しかし、それ以外、和服類は誰も要らないとなる。マニアが徹底して分類を施した収集品は彼の亡き後、博物館や学校へ寄贈すればいいが、収集家は夢中になっているときは、集めた後のことはそ余り考えない。ある年齢にならないと身辺整理には思い及ばないものだ。クリスチャンの知人が父親から書・画や骨董・彫刻類・刀剣類を保管していて父親が亡くなったときに兄弟から『売却してお金にして均等に分けようと』提案があった。しかし、彼は『すべて函館の市立博物館と道立近代美術館に寄贈した』と言っていた。文化財の散逸を防ぐためだ。学芸員がやってきて真贋の見立てをしてくれたのである。兄弟関係が以降、ぎくしゃくしたと聞いている。
定年を期に、私はBOOK OFFに来てもらい、学生時代からの本を大半処分した。40年以上再読していない本が多かったからだ。子供たちに読んで欲しいなと思い、手にしやすい場所へ置いても一度も彼らは見開いて読んだ形跡がない。希望はあっさり失望へ行くから、初めから望まなければ良かった。希望通り育たないのが子供。希望があるなら自分がそういう人間になればいいだけのことだった。この年齢になって気づいても遅い。集めたものはいずれどこかに流れていく。場所も占有し、博物館でもつくる予定なら社会貢献だろうが、後始末を考えたらほどほどにというところではないだろうか。
