趣味と好き嫌いの起源。ハビトゥス。

趣味と好き嫌いは、あくまで個人の基本的なことで他人からああだこうだと言われる筋合いはない・・・そう私たちは思っているだろうが、実はそうではなくて、それはその人が育った家庭環境や学校において作られているというお話だ。ある日、クラシック大好きな人と話していて半端な知識ではないなあと思ってよく聞くと、お父さんが札幌交響楽団の創設に奔走して自宅には膨大なレコードとテープのコレクションがあり、毎日、音のいいステレオからクラシックが流れていたという。演奏家や指揮者にも膨大な知識があって、私はただただ聞くだけだった。山下達郎のコンサートの話になると不機嫌になって「もうその話はするなよ」と否定される。否定されると私もむっとして、人格までやられる感じになった。

フランスの社会学者でブルデュー(1930年~2002年)が、人間の本質としてハビトゥスという概念を導入した。習慣や癖、性向、傾向性と訳される。私たちの毎日の行為や価値判断、好きになったり嫌いになったりするのも、このハビトゥスが働いているからだという。家庭にたくさん本があり、書棚があって、自分の机があって、そこで本を読む習慣が自然に身につく人と「勉強なんていいから、働いて稼ぎなさい」という家庭があるとしたら、その先、どうなるかという話だ。ブルデューはハビトゥスは「身体化された自然」だという、それはもう取れないんだということで、雀百まで踊り忘れずという俚諺そのままだ。

環境決定論のようで、この説には批判も多い。フランスは特に階級社会で貴族層の趣味は集まると(クラスターという表現をする)立ち居振る舞いや料理の食べ方までいわゆる自然に上品に振る舞う。ブルデューは貧しい農村の出身で勉学と研究に励んだので、貧しい農村から植民地アルジェリアにフィールドワークして、エリートたちも観察できた。同じエリートでも貴族層はドビッシーやラヴェルを好きだと言うが労働者層からエリートになった人にはバッハ好きが多いという統計もある。軽く生きる、重く努力で生きるの違いのようだ。音楽の趣向に階層が影響する。

しかし、そうだろうか?と疑問も持つ。一方、そうだよなという現実を見ると2世や3世の芸能人や政治家の群れがあって「育ち決定論」では、世の中変わらないぞと強く思う。北海道は明治以降の植民で作られているから、階層や階級といっても先祖から伝わってる文化や資産は少ないが大阪から来た知人は、「結婚するとき、旦那が母子家庭であったので父親が彼氏は部落ではないかと戸籍謄本で調べたの。主人がものすごい不機嫌になった」と話していたのを思い出す。私の妹が大阪の恋人と破談になったのも我が家の家系図を3代前までさかのぼって見せてくれというものだった。父親は「失礼だ」と拒否した。彼氏のお母さんが実家まで来て「今回の話はなかったことにしてくれ」と菓子折り持参で詫びを入れた。公家の家柄であった。差別は足元にあり続ける。

私自身も自分の力ではどうしようもない傾向がある。ブログを書いていて読むほうも「また同じことを書いている」と気づいているとは思う。ハビトゥス(英語のhabit/習慣)のせいだとご容赦願いたい。

この概念を使うと他人を少しだけ理解できますよ。差別の発生が家庭や学校から始まっていて、本人の自発的な考え方ではないんだというところまで射程を伸ばしている。世界中の集団のあることろ、似た価値観を持ったクラスターは、外の集団を排斥する。趣味って意外に差別の温床でもあるんだ。

参考 NHK100分で名著 ブルデュー ディスタンクシオン(区別、差異、弁別、卓越) 解説 岸 政彦

今井昇撮影

美唄 宮島沼 今井昇撮影