携帯なんか要らない!

筆者が愛用していたソニーエリックソン URBANO 可愛い機種だ

私は週2回の図書館ボランティア活動をしているが、男のボランティアが7名いる。93歳の会の創始者は息子たちから「携帯を持ちなよと携帯をくれるが、そんなもの要らないと」と拒否。80代の男性も携帯持たず。家の電話で済ませている。70代後半の人も家の電話で足りていると持たない。しかし、携帯やスマホを持たない彼らは豊かな他人との交流をそれなりにしているとも思う。

なぜこんなことを書くかというと、最近、北野武「全思考」(幻冬舎文庫 85p)を読んでいて、「現代社会を生きている人間のほとんどが、携帯電話とインターネットによってある意味で、奴隷化されていることにほとんど気づいていない。携帯電話もインターネットも、自分の自由意思で使っていると誰もが思っている。万年筆や百科事典を買うのと同じように、それがあると便利だから、携帯電話やインターネット用のパソコンを買うのだと。・・・・・もはや便利な道具を超えて、それがない生活は考えられない道具になりつつある。昔はそんなものなくても、ちっとも困らなかったのに。」

奴隷化とはコミュニケーションをお金を払って(通信費として)、得をするのはそれを運営する企業だけ。「携帯で生活が便利になったと言ったって、ロクに意味のあるコミュミケーションなんかしていないのだ。」(同著88p)

ポケベルから始まり、ガラケイが長くて、会社にウィンドウズ7が会社に入り、企業内メールが始まった。総務からの慇懃で上目線のメールに頭に来て、総務に礼儀をわきまえない文章だと抗議したこともあった。以前は机の上に手書きや印刷された丁寧な文書が置かれてあったのに。パソコンを通して社員のアドレスへ送信する癖がつくと、送り手の謙虚さが消えていく。文体に送り手の人柄が出てくるから怖いツールだ。