胸が痛くなる場所

内職

給食アルマイト製

(給食で使われたアルマイトの食器)↑

そこを通ると胸が痛くなる場所・・・札幌駅北口にある自分の生家(崩れそうな平屋)がまだ取り壊されずに残っている。周りはマンションだらけなのに、なぜ、ここだけが?地主が売らないで頑張ってるとしか考えられない。

両親が札幌での結婚生活を始め、最初にここで生まれたのが次男の私だ。地主へ年末年始、必ず挨拶へ行ってた。地主から母へ生計の足しということで丹前や縫物の内職をもらっていたと、後で聞いた。6歳のとき別な街へ引っ越すとき、私を可愛がっていた近所のおばさんから別れに不二家のキャンディをもらった。

子どものいないおばさんだったので、次男の私を養子に欲しがったが、やらなかったと母は自慢していた。小型トラックの上からサヨナラと手を振って泣いていた自分を思い出して、あの場所へ行くと胸がキュンとする。3人兄弟の中で、どうも私は泣きべそで、どうしようもない。

次の小学校でも転校するとき、校長室へ挨拶へ妹と行ったが、私は帰りの橋の上でおいおい泣いてしまった。その橋も車で通るとき、いつもあの日の転校した日が蘇る。加齢とともに、そういう思い出が嫌に鮮明になってきて困る。自分の人生を、もう一回生き直している気配といえばいいかもしれない。

おさらいや意味づけ、深い井戸へ降りていく感覚が出てくる。しかし、自分は別れるのが下手な男だとつくづく思う。幼いころからこれだもの、広告営業もどこまでもついていって、最後は倒産されて焦げ付きを何度も経験したのも無理はない。倒産サインは出ていたのに、情にほだされてついつい決断遅れ。逃げれない性格ってあるよね。

これで、平和に棺桶へ入れるか心配だ。棺の中でも泣いてるかもしれない。