他人の世話や面倒を見ることの厄介さ

9月6日(木曜)の胆振東部地震で、2日後に予定していた8日(土曜)中学のクラス会を中止することで、ホテル側と19人の参加予定者にバッテリー切れ寸前のなか、電話やメールでの通知に疲れてしまった。幹事を投げ出したくなった。以前の自分にはなかった心模様だ。月をあらためて11月に開催の話もあったが、来年まで延期にした。

サラリーマンになって、お見合いを4回くらいセットしたが全部失敗、ことしの夏から50代の元管理職の仕事探しで5社紹介したが、全部ダメ。どうも自分は他人の世話や面倒見に向いていないのではないかと思うようになってきた。クラス会とお見合いや仕事探しと同じ平面では語れない気もするが、私にとっては連絡・紹介・場のセッティングは同じである。「お節介」をすることにある時期から目覚めて仕掛けてしてみたが、思い通りにいかない。

そもそも私に他人を見る(理解する)能力が欠けているかもしれない。私自身、苦労もせずに歩んできたツケが他人を理解することができない要因かもしれない。知り合いがお見合いを4組大成功させていまも家庭が続いている。ところが先日、その中の一組が14年間の結婚生活を解消して、離婚することになって彼は会ったらしい。異口同音に「あなたが紹介してくれさえしなければこんなことにならなかった」。「もう大人でしょう?」と彼。しかし、納得はいかない模様。筆者に彼は「もう二度とお見合いのセットはしない。懲りた」と。こういう経験はたくさんの人が経験していると思う。「人の心はわからない。長い時間の経過であれこれの事件まで紹介者は責任は持てない。しかし、失敗は誰かのせいにして自分の至らなさに至らない」。

60代で未婚の男女を合わせるお節介が流行っている。先日も40代の独身男に30代の女性を合コンさせると張り切ってる男性にあったが、くれぐれも無理だけはしませんように。まずは、ひとりでも十分暮らしていける賃金を企業は与えることをまずすれば、自然に結婚は増える。無理に会わせるより、そちらが先のような気が筆者にはするのだ。