11月17日、日本駐在フランス大使の講演の要旨を書いたが、そういえば沖縄の話をナポレオンが聞いて驚いた話題を書いた事を思い出した。再録します。
表題の話は、約40年前の1978年刊。岩波新書・准陰生著の『読書こぼれ話』の66pに掲載されているが、初めて知る人も多いと思うので紹介する。准陰生は1970年から1978年まで『図書』という冊子にエセイを書き続けた人で、筆者は彼は一体、何者?という疑問をカント学者の哲学教授に聞いたが教えてくれない。文体から推理して英文学の中野好夫さんかワールブルグ研究所に詳しい哲学の花田圭介さんあたりと踏んでいるが間違っていたらごめんなさいである。
皮肉家アイルランドのスウィフトみたいな書き手だ。フランスならヴォルテール、日本のジャーナリストなら桐生悠々みたいな。1817年8月イギリス海軍のライラ号のバジル・ホール艦長が朝鮮半島西海岸、琉球諸島への調査航海の帰途、ナポレオンが流されたセントヘレナ島へ寄航。ホールは、視察した沖縄という島には武器というものが一切ないことを話すと、理解に苦しんだナポレオンは『武器といっても大砲のことだろう。小銃くらいはあるのでは』『いや、それもありません。』『じゃ、投槍は』『それもありません』『弓矢や小刀くらいはあるだろう』『いや、それもありません』ナポレオンはわなわな拳をふるわせながら叫んだ。『武器がなくて、いったい何で戦争をするのだ?』『いえ、戦争というものを全く知らないのです。内外ともに憂患というようなものは、ほとんど見られませんでした』。
ナポレオンは『太陽の下、そんな戦争をやらぬ民族などというものがあるものか』と答えたという。沖縄は16世紀、尚真王のとき、武器撤廃をやったり、1609年、島津藩に征服された後は、一切の武器を完全に奪われたのは事実だ。約500年に及び、多少の小競り合いはあったにしろ、武器なき平和の島だったのである。それが沖縄戦で本土の盾になり、以来、米軍基地の島になるとはひどい話である。沖縄返還が1972年だからエセイの執筆はその6年後ということになる。30年前に家族旅行で沖縄へ行った。子供たちにとって初めての飛行機である。母へ沖縄へ行くのだと言うと『観光だけではなくて、鎮魂でも行くのよ』言われた。大阪空襲で逃げ帰ってきた母の戦争記憶は死ぬまで取れるものではない。
大学時代、沖縄からの留学生がいた。返還前なので留学である。ときどき大きな話題については琉球新報や沖縄タイムスを送ってくる。米軍基地は地主に莫大な土地利用料を払っている。その原資は国民の税金である。不在地主として東京はじめ本州に住んでいる人も多い(彼らを取材するだけでドキュメンタリー作れる)。米軍で働く労働者・飲食業界もそうだが、時間とともに住民の利害が発生して、住民同士分断させる働きがある。原発もそうだが。分断させればしめたもの、あとは既得権者の天下、世界中の国がこの隘路にはまっている。『愛国万歳、自分の国一番、気に食わないなら出て行け』というメッセージが大国から小国まで流れている。
武器がないなら、座して死を待つのも、しょうがないと思うこのごろである。
