きょうは月に1回の大型ゴミの日。筆者が住む町は100円シールを貼れば、自転車でもマットレスでも持っていってくれる。シールはスーパーのサービスカウンターで購入。ゴルフバックが2点捨てられてあったり、書棚やソファ、自転車やサイドボード、電化製品も100円でポイ。灯油タンク18㍑缶もある。こまめに集めれば新しい暮らしが始められそうな点数である。以前は、リサイクル業者が朝早くから、軽トラで運んでいった。
しかし、それにしても自身の欲が減ってきて、市場に物が溢れているのに大して欲しいものがないのはどうしてだろう。市場にどきどきする感じの商品がないのかもしれない。それより筆者の感性の摩滅かもしれない。あるとき妻が『一眼レフカメラでも買ったら』とか『少し高い時計を嵌めたら』と言われるが、貧乏長屋育ちなので、必要に迫られず、安いデジカメで間に合うし、時計も2本あるし、携帯で時間はわかる。以前買おうか迷った立川談志のDVDの落語全集、松岡正剛さんの日本史と世界史のDVDも『欲しい』と強く思っていた時期もあるが、そのとき勢いで買わないと『無くても構わないかな』と欲望がシボむ。たとえ後で後悔しても。
NHKで何度も放映していたグラナダテレビ製作『シャーロックホームズ』の録画ビデオを全巻持っている。DVD&ビデオを両方使える機器が売っているが、好きなときに鑑賞できるとも思ったが、テレビ前はすでにブルーレイ録画機器の置き場。邪魔になるので買うのを諦めた。そういえば、昔、老子の言葉で空間、何もない虚について書かれた詩があった。調べてみるとこうだ。英文学者の加島祥造さんの自由訳だ。
『空っぽこそ役に立つ』
遊園地の
大きな観覧車を想像してくれたまえ。
たくさんのスポークが
輪の中心の轂(こしき)から出ているが
この中心の轂(こしき)は空っぽだ。だからそれは
数々のスポークを受け止め、
大きな観覧車を動かす軸になっている。
粘土をこねっくって
ひとつの器をつくるんだが、
器は、かならず
中がくりぬかれて空(うつろ)になっている。
この空(うつろ)の部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちやしない。
同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空(から)でなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使いものにならん。
うつろで空(あ)いていること、
それが家の有用性なのだ。
これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚(きょ)のスペースこそ
本当に役に立っているのだ。
