2世や3世、だいじょうぶ?
道東の知人から地震の話から、十勝の話に及んで、よつ葉乳業がほくでんに頼らず、自社で発電をしていて全道が停電になっても工場は稼働している経営のすごさ(札幌に頼らない)に話が及んだのだが、『しかし、十勝の酪農家はお金持ちが多くて、2代目や3代目に親が外車をばんばん買い与えて甘やかしている』ことを嘆いていた。芸能界でもスポーツ界でも実業の世界でも政治の世界でもよく聞く話ではあるが、『若いうちは無茶なことをしても、牛という生き物を扱うのだから、彼らのリズムに合わせたり、搾乳の時間もあるわけだし、朝の早いうちに起きる大変な仕事だから、いずれ車より本業に向かうと思うけれども』と返事をしておいた。『仕事をする』という営みが、体を使う、汗をかくという行為がどれだけ大切かは、会社を興したり、経営したり、サラリーマンで長い間、働くことにおいても大事なことで、2世や3世も1世がいなくなると『仕事をする、人を使う』ことになるわけで、高級車を乗り回す時間が減るはず。古い言葉だが『人の道』という見えない道があるはずだと筆者は思っていて、というより、そういう『道』がないと救われない人が多過ぎると勝手に思っている。誰かが楽をしていたら誰かがその分苦を背負っているはずで、家庭でも学校でも会社でも十分、あり得ることだ。仕事の『丸投げ行為』を考えるとよくわかる。丸投げされた人間はさらに次の人に『丸投げ』をするかもしれない。それは仕事だけではなくて、自分自身の言葉も発言も『誰かの権威者に頼ってみたり、メディアで○○さんが言っていた』と猿まね発言をすることにも通じていて、思考の丸投げ(思考停止)とでもいうことでもある。2世や3世は1世の生き方や考え方や生き方をその背中を見ているから、それがまっすぐな道ならきっと歩んでくれるに違いない・・・そう思った次第である。
