名古屋グランパスがJ2降格、コンサドーレ札幌J1にいけるかと話題もちきりの現在。
きょうは、『サッカーはファッショである』という考え方もあるというブログを書きます。野球や相撲やラグビーやテニスも含めて、スポーツとかオリンピックは国威発揚(郷土愛高揚・学校愛全開)が恥ずかしげもなく出るイベント(現象)だけど、世の中には全く逆な考え方をする人もいて、日韓で共催したワールドカップで、国立競技場近くのマンションに住んでいた物書きの故池田晶子さんが平成18年7月6日に書いた。
すべては静かな日常生活を守りたい、それだけのことなのだ。『知ることより考えること』90p。『4年前のワールドカップのとき、どうか韓国で開催されますようにと私は祈っていた。・・住んでいるところが、国立競技場に近い。W杯でなくても何がしかの試合をやっているときは大変である。なにしろあれだけの人数の観衆が一斉に集合離散、移動するのだから犬の散歩にも出れない。・・・試合が始まればオーレオーレの大合唱に妙な応援歌、時折あがる悲鳴と怒号の大噴火。窓を開けることさえできない。仕事中は耳栓である。・・・・私はサッカーには関心がない。スポーツ観戦一般がそうである。・・・サッカーは止めてしまえとは言いづらいものがある。実際、私はW杯のとき、日本早く負けろと思っていた。いや正確には、勝っても負けてもどっちでもいいのだが、このクレージーな騒ぎに早く終わってもらいたい。静かな日常に戻りたいだけである。日本VS韓国戦で日本負けろと大観衆に叫んだらたちまち私は非国民として石もて追われたであろう』
『私が日本人であるのは、たまたまの属性にすぎない。すべての人が本来そうなのである。国が侮辱されると自分が侮辱されたと思い込んでいるに過ぎない』『サッカーも戦争も心理構造は同じである』『虚構(スポーツ)を現実と思い込んだ人間同士が、自国の誇りを賭けて争っているのである。そういえば、ワールドカップフランス大会でモンマルトルでコーヒーを飲みながら静かに読書をしていた女性にインタビューしたテレビ局があって『うるさいわね、早く終わってもらえないかしら』。
どこの国にも狂乱や熱狂や騒ぎが大嫌いな人が結構いて、『声が小さいがゆえに目立たない。新聞テレビはイベントをニュースとして大きく取り上げて、そんなイベント止めて欲しいというコメントを大きく載せない。なぜならそこで商売や記事が書けるからである。現に東京オリンピック返上キャンペーンを張るメディアはどこもない』電通から電波料金払う見返りにCM代金頂き、ゼネコンは施設建設費、体育協会は森善郎を中心にスポーツ選手OBはコメンテーターの職を取って老後の資金稼ぎにギャラで儲ける。
亡くなった池田さんではないけれど静かな日本に早く戻って欲しいものである。戦争中の日本の新聞を先日、博物館で読ませてもらったが、扇情文字が躍っている。こういう文章を書かないと新聞紙(パルプ)が国から供給されない、電波における総務省みたいなものである。真実はいつも市井の片隅で声低く語られる。現代人は静かに暮らすことを拒否しているのだろうか?『何かどこかで面白い出来事やイベントを探さないと生きていけないのだろうか』





