「他人が羨む物は持つな」。大正12年生まれの母が口癖のように言っていた。60歳を過ぎて、この意味が身に染みる。御詠歌をしていた祖母からの言い伝えなのか、尋常小学校の教科書に書いてあるのかわからない。が、村社会の中で、できるだけ目立たないよう生きる知恵なのかどうなのか。
高度消費社会に全く逆行する人生観で、これを実行すると、ブランド品(車・時計・海外旅行・洋服)はおろか、日本の経済に大打撃を与えてしまう商品群に縁遠い暮らしになってしまう。どうもいま風ではない。誰にでも勧められる人生観でもない。
退職したとき「一眼レフカメラが欲しい」と言うと「買ったら?」と妻。しかし買ったのは安いデジカメ。安物を買う癖がついてしまっている。情けない。私の買い物行動の原因は、たぶんすぐに飽きてしまうから、壊れてもいい、安物でOKという価値観に縛られている。すぐに飽きるということは、別なものをまた買う。これを繰り返せば、消費の後押しをすることにはなるが、結局、初めから高くても長持ちする物がいいという常識に還る。
この言葉の要諦は、世界(世間)は嫉妬が渦巻く社会なので、そういう風に当たらないような日常生活の心構えをアドバイスしたのか。しかし、この嫉妬という感情は厄介だ。「男の嫉妬は国をも滅ぼす」(山内昌之)という本が1冊書ける「嫉妬の世界史」ほど、歴史をぐるんぐるんさせている。実は、これ、日々身に着けていたり持っている物以上に、人間の抱える嫉妬心は、並大抵の努力では「飼い馴らすことが大変だ、できないよ」と経験的に伝えている。そう、思う。
下手したら殺人事件まで起きる怖い感情だし、取扱いには超要注意な感情だ。その横にあるのが、比較の感情で、これがワンセットみたいな構成だ。サラリーマンを38年していて、大多数が自分の嫉妬の感情に悩まされたはず。能力や育ち・容姿など本人の努力とはある意味関係ないことで、嫉妬されたり、したりする。傍からみたら、皆さん、給与やボーナスもいいし、名の通った企業に勤めていても、この感情が取れることはない。
関心が仕事の内容より人事にシフトしてしまう。よくあった事件は、嫉妬する側が、される側は気にしていないことを気にしている、羨んでいることだ。営業の場合、退職したり、辞めていく先輩たちの残したクライアントを誰が引き継ぐかが大きい。各自の売上・利益に直接関わる。私もメジャーな売上先を先輩から引く継いだが、それを欲しがっていた人からずいぶん妬まれた。
仕事が忙しくなるだけだよと、私は思っていても本人は私の数字が妬ましい。これは可愛いもので、一番は役員になれるかなれないかの出世競争。どこにでもあるよね。本人に言わせると渦中にいない人間には、その苦しみはわからないと。目の前にある団子が私を食べてと言っているのに、プイと退散することができるかという話?!ここをどーでもいいよと前に進むか、パクつくかでその後の人生は変わるでしょうが、パクついて失うものも多い気がする。
ある人に「僕のブログで何が一番、面白かった?」と聞くと、「仕事の失敗談が楽しく読めた」と。自分を相手より低く置いて、ダメな私の話をしたら、ケラケラ笑われて、その後の営業がスムースにいったものである。自虐ネタが好まれる、お笑い社会なんだ。それより、これからの社会でこんなに非正規雇用が増えると、そういう嫉妬心・嫉みの感情がどこへ向かって流れていくか・・・?ということ。老兵去るのみである私ではあるけど、娘や息子、孫もいて、彼らが生き易い世の中にどうしたらできるか、心残りだ。
他人の羨むものは持つな・・・は「嫉妬」の感情がある限り、無くならないのか?「羨むもの」。結婚であったり、人気であったり、地位であったり、育ちだったり、金銭だったり、住んでる家だったり、才能だったり限りなく人間が生きてる場所にある。上手に飼い馴らしましょう。「棺の中に納まれば静かになるよ」という勿れ。

