超監視時代(いつも誰かに見られている)

今月の『ナショナル・ジオグラフィック』は、超監視時代という特集。サブコピーは(いつも誰かに見られている)。IRAの爆弾テロが発生してから英国の都市は監視カメラ大国になった。そしてカメラに寛容な市民が多いらしい。もともと独裁国家ではなかったし、悪用する政府ではないという信頼感があるみたいだ。

私も思いつくままに札幌駅まで幾つの監視カメラに見られているか数えてみた。自宅からJRの駅まではないが、駅にはエスカレーター真上、通路、駅改札口前、出たところ、ホーム、電車の中には客の視線以外カメラはない。札幌駅に着くとホームにある、改札口にもあるし、最近道警の警官が監視している日が多い。7個くらいのカメラに写っているが『別に私は悪いことをしていないから、写されても平気』という感覚が一方にある。駅構内から駅を出るまでの公道の天井にもズーム機能を持ったカメラがあってもおかしくないなと考えながら歩く。交差点はカメラの車列であるから人相良く映らないといけない。いたずらでカメラに向ってVサインをするのも愛嬌がある。

もちろん配送する荷物もX線で中身が写る。飛行機で搬送可能か陸送にするか危険物を監視する。おもちゃに電池1個あってもペケで陸送に変更される。顔認証の技術も進んできて、国境を越えるたびに自分の顔を突き出さないといけなくなる。データセンターに登録された顔と間違いないことを確認しないと海外旅行もできなくなる。変装しても化粧しても見破られる。地球の周軌道にも1700個の人工衛星が回っている。放送用や画像を集める衛星、GPS機能の衛生、通信の傍受など多目的であるが、アメリカが814個、中国が205個、ロシアが140個、他の国々が578個(日本は149個)。アメリカの民間会社プラネット社は202個の周回軌道に上げて、地上の画像を撮影している。条件が整えば1秒間で2枚撮影、地球の陸地の全体を1日で撮影できる。北朝鮮や中国、ロシアの陸地部分を軍事衛星はたえず監視して、ロケット発射台が移動してないか監視する。

今回のトランプ政権のシリア爆撃も人工衛星で撮影されていることだろう。市民に死傷者がまたたくさん出たのではないか。ブログを書きながら、人間はどこに向って舵を取ろうとしているのか、一体、何を希望として存在しているのかとため息をつかざる終えない。『ゲノムが語る人類全史』に8000年前には地球の人口は約500万人(同著94p)(北海道の人口とほぼ同じ)と書かれてある。たったこれだけある。先祖の遺伝子が今日まで変異を繰り返して私たちにつながれて約70億人(2011・国連)になっている。破壊の後に創造が来るはずと思いたいが、現在のところ破壊・破壊・破壊である。創造されるものが監視する技術であったり、破壊する兵器であったり、致死性の高いガスであったりする。そういえば整形外科の発達も第一次世界大戦での負傷兵の治療から発達したことを思い出した。戦争は医学や科学技術を推進する。そういえばインターネットもアメリカの国防省のシステムを民間に開放したところから始まった。