戦争とプロバガンダ・いんちきレース

 

sting-102

戦争とプロパガンダは、昔から仲良くて、広告の目的はある意味で消費者を洗脳をして、ある場所に赴かせて、参加させて、財布の紐を緩めさせて消費を促し、お金をもらう広告主に喜んでいただくという仕組みで、買った方も満足させ、PRを請け負った広告代理店を頭にして、テレビ局・新聞社・チラシ配布会社・印刷会社・制作会社がスポンサーのお金を分け合う仕組みだ。

戦争にたとえれば、広告代理店は傭兵に似てなくもない。お金で雇われて雇い主のために命を捧げる・・少し大げさだけど。ただ、同業のA社とB社を、同じ広告会社が請け負うとなるとこれでは、傭兵同士(社員同士)の戦いになり、インチキな戦いになる可能性は否定できない。たぶん勝つのはお金を多く出して、その広告会社を潤わせている会社になるかもしれない。生死を分け合う戦争と広告内部での戦いを並列に論ずるのは不謹慎免れないが、戦争へ駆り立てるワンフレーズが、コピーライターのメッセージで死地に赴いてしまう現実もあるわけで、言葉と絵と音楽とタレントを組み合わせて、効果を狙う詐術に近い。

小泉政権のときに郵政を民営化したのも、アメリカの保険会社が何百か何十の億円を広告会社へ予算を預けて民営化へのPR費用に充てたという噂もある。そして、日本国民の保険や貯蓄をイタダキである。原発設置時,自治体の住民との対話や集会も広告代理店が絡んで、電力会社からお金をもらい、セレモニーを仕上げて、最後は金の出した企業の言い分を十分尊重して、地元の首長を言いくるめる図式だ。

これは、当該政府の官庁の各種審議会を、後ろから指図して、シナリオを作る官僚たちも同じで、「この委員の思想傾向はこれこれ、あんまり、全員が一つの意見ばかりだと、疑われるもするから、反対意見を述べるこの人も入れてバランスを取り、最後の決を採る段になれば6対4くらいで、我々の作る案を政府に諮問するような形にしたい」などと、あらかじめシナリオを作るのに似ている。偉い肩書きの先生方が高い日当の金(税金)をもらい官僚たちが作成した資料をもらえば、どういう方針を出せばいいのか、わかるというものである。

今から財界から要望の出ているホワイトカラー・エグゼンプションも動き出している。1947年以来の労働法の大改正だ。成果主義を極端に取り入れるとこうなってしまう。「私の収入は1000万円ないから」とか「残業代はもともとない企業だから関係ない」では済まない、下手したら「正社員は要りません」くらいの投資家や株主だけが儲ける企業に変身する危険もあるのに。これも財界人を入れて、審議会を作って「結論ありき」のシナリオになる可能性大である。

結論が初めにあって、審議するのはインチキである。競馬でいえば、この馬が優勝だということにして、レースが始まれば八百長事件に発展する。いまの安倍政権を見ていると、国民の命や税金を担保に入れられて、アメリカのご機嫌伺いながら、走ってる気がするのは私だけだろうか?ここにも外務省官僚が立ちはだかる。

官僚たちがまるで広告代理店のような働きをしているのだ。スポンサーは法人税を下げて利益を供与した会社の数からいえば少ない、大きな企業とアメリカに本社を持つ多国籍企業、そして官僚自身ではないだろうか。大きな企業が広告費として莫大な金をテレビ・新聞・雑誌・ネットへ流しているから、下手な意見は言えない構図だ。

ときどき、日本国が全体、広告代理店に見えてきたりする。道理でやたら日本を持ち上げるテレビ番組が異常に増えているのも、そうした証ではないかと邪推する。