クレーマー被害減らず!!
最近、エスカレートするクレーマーの増加。コールセンター企業へも顔の見えない人へ(主に女性へ)罵詈雑言する人も多い。病気になる人もいる。しかし、顔が見えても平気で言葉汚く、自分の正しさをレジ係に叫ぶ人も。
昨年末、大賑わいの買出しのスーパー。レジの前に長い列ができる。後ろから60代のおっさん「レジを開けろ、こんなに混んでるんだから」。厳密に見れば、あと2箇所開けられるが、レジ打ちの社員がいない。静かにほかのお客が待っていても、怒鳴る。同世代ながら恥ずかしい。
図書館でも司書へ大きな声で新刊図書の貸し出し順番をめぐって遅いと繰り返しクレームを言う同世代も目撃した。レジ前の男もそうだが待てないのだ。相手の説明を最後まで聞かないで、とにかく自分の要求を主張して相手を屈服させようとする。要求が通ると収まる。こういう人はどこへ行ってもクレームを繰り返す。自分が100%正しいと思い込む人は御しがたいが、感情が高ぶれば誰もが成り易いから注意したい。気持ちや生き方、収入に余裕があればクレームは少なくなり、さらに夫婦関係や子供との関係、親との関係でもイライラが減れば待つことに辛抱できる気がするがどうだろうか?
このテーマは昨年何度も書いてきた。3月31日「キレル老人」4月11日「キレない人間になるために」9月9日「不寛容は、全世代共通では」9月24日「キレやすい脳の人は」など。キレやすい人でも日米のトップで仕事ができる時代になっている。キレルがデキルと勘違いしている独裁的な人間は政治家や経営者、中間管理職にも多い。
キレない人間になるために公園を歩いたり、森に入ったり、空を見上げたり、虫や鳥を探したり、庭の草取りをしたり、日が暮れたらできるだけ早く寝たり、熟睡できなければ枕を変えたり、お金をかけないで幾らでもいい方法はある。自分の自然な体を含めて、自然に直接触れるといい。草をむしっていると無心になれてすがすがしいと言う人も多い。私もバラの花びらを拾っていると、落ち着く。電動芝刈り機で伸びた草を刈ると芝の香りが漂う。50歳前ならタバコで一服というところだ。
それにしてもクレーマーのいない世界は無いほどだ。しかし、中には正しい要求もあるわけだから、クレーム=悪なら政治も要らないわけで、それこそ霞ヶ関官僚たちは「自分たちの作る法律や新しい制度は、有識者からも概ね良としているんだから文句を言うな」になりやすい。
以下、クレームに関する筆者のブログをいくつか紹介しますが、未読の方はお読みください。
不寛容は、全世代共通では?(ある知人からのメールがヒント)
許せば済むことを咎める、クレームをつける老人が多くなってきたことを知人にメールしたら、「不寛容は、全世代共通では?懐と心の余裕がなくなってきている」と返信。
ブログで何回かキレル老人のことを書いた私だが(キレル老人で検索)、40代の彼の見立てでは、「全世代共通」と見る。怒るタイミングを失して、妻から「子どもへのしつけがなっていない」と昔から叱られてる私にしてみれば、穏やかに人生を送りたいとは思うが、時々、こちらをむっとさせる言動が妻から出ると、若い時ほど我慢強さがなくなってることに気づく。そこで大事なのは、身近にいる寛容な人を探して少し観察することだ。どこにそんな人がいるだろうか?
私が在籍した数社の企業や周辺の会社のあの人・この人を具体的に思い浮かべるが、どうも尊敬できる寛容さにはほど遠い。尊敬できない寛容さの人はたくさんいる。定年前の人や無気力な人、「あとは野となれ山となれ」で生きてる人。どうも真剣に生きてる人は怒りっぽい印象だ。叱り上手、そしてすぐに忘れる、最後はフォローする。概して能弁で話し上手は「寛容」な人間に近づく可能性大ではある。そして多少の自虐や韜晦も助平心も併せて相手に伝える。
しかし、ここぞという決断のときは孤独に強くないといけないから、寛容な人間も(自分には厳しい人)でないと務まらない。しかし、寛容な人間のモデルがいるとしても、咄嗟のときの言動が寛容になるかどうかわかったものではない。遺伝子中、「寛容な遺伝子」ってないものなのだろうか?おっとり育ってる人もいるから、それは単なる環境のせいなのかどうなのか?
無謀な権力者がいて、やりたい放題をしたとして、周りが(寛容に)それを100%我慢してへらへらしていてもいいものかどうなのか。寛容というよりも、従順なロボットになっているという別次元の話になってしまう。現代は「人間が壊れた世紀になってしまった」とも言えて、下手したらネアンデルタール人より人間レベルが下がってるのではないかと思うばかりの事件が多発している。ネアンデルタール人は家族間で殺し合いはしない。せめて家族間では寛容ではなかったか。

