たまには湯布院の写真や中津の写真、昭和の町など。大分観光。

大分に住む娘から、湯布院にあるレストランの写真が送られてきた。向こうに見える由布岳。まあるくて穏やかな山並みが見える反対側にできたレストランです。大きなホテルを立てることをやめて、街並みをフラットにして、たくさんの細かい手芸はじめ店舗を並べた。郊外に行くと高級な温泉宿があって、有名人の隠れ宿としても機能している。妻が娘と一度いった。鼻のアレルギーがあって体調を崩したと言っていた。お店は楽しい、特に女性に喜ばれる。

 

大分には豊後高田の昭和の町がある。一度、旅することをお勧めする。

しかし、近くには宇佐があって特攻隊の基地でもあった。特攻機が滑走する路は県道になっていまも使用されている。

北海道出身者も4名発見した。

2 thoughts on “たまには湯布院の写真や中津の写真、昭和の町など。大分観光。

  • 2026年4月12日 at 8:47 AM
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    昭和組の私も想い出はいくつもありますね。オート三輪に木炭自動車やSLや手押しポンプや足踏み脱穀機や農業動力には発動機や少年向け月刊誌では沢山のマンガも。お隣のタバコ屋には袖看板にこばたと逆になって居ました。中学には歩けば30~40分掛かるので自転車屋さんで中古自転車を買ってペンキで色を塗って使って居ました。荷物を運ぶのはハシゴのような長い荷台の荷車でした。昭和の子供たちの遊びは今では考えられない危険な事ばかりでしたね。遊ぶと言うより殆ど命がけでした。丸木橋に横一列で揺すって濁流の川に落としっこしたり、石合戦で喧嘩したり、組合のオート三輪をこっそり動かしたり、トラックの荷台の後ろに隠れてぶら下がって隣村まで行ったりと数え上げればキリが有りません。悪ガキばかりでしたね。今は紳士の顔をしていても皆んなワルでしたね。

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    • 2026年4月12日 at 8:07 PM
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      昭和ってなんでしょうね。60年と少しですが、人生の大半が昭和でした。平成と令和は数字が覚えられません。あれっ、ことしは何年かと書類を書くとき戸惑います。私はおとなしい札幌東区育ちでした。自然といっても公園か豊平川くらいで野球やサッカーをする程度。工場がたくさんあるので、ただで食べに行きました。雪印や古谷製菓のウインンターキャラメルですね。いまでも中学のクラス会をすると静かなものです。昔の少年さん、羨ましいですよ。

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