人生に暇があるから趣味や好きな学問や研究に没頭できて、恋愛も失恋も仕事も旅行もできると考えると『暇』という代物がとんでもない化け物に見えてくる。
ひとつのことに集中している他人を見ていると、それに向かう形相とは別にどこか滑稽とか狂気に入っているようにも見える。動物を見ていると食べる・寝る以外は暇人(動物)にしか見えないが、その生き方に風格があるのはどうしてか?人間は余計なビルを建てたり、穴を掘ったり、埋めたり、土管や電線を張って、家に電気を通して、パソコンやら携帯をいじらせ、ゲームで暇な時間をつぶしたり、その暇を買うためにお金を払い、払うお金のために働いて労働を売る。本屋へ行けば、暇な時間を活字やCDやDVDを売っていて時間つぶし産業が流行る。
映画も時間つぶし産業、テレビも電気紙芝居と思えばいい。スポーツも昔あったゲーム盤を人間がしていると思えばいい。おしゃべりも暇がなければできない。サラリーマンも8時間のうち実際、集中力を発揮している時間は半分もないかもしれない。忙しそうに暇をつぶしている人が多いと思う。『それって仕事?またゴルフ?それって会社のお金を使うの?』、そんなサラリーマン上がりの経営者の群れを見てきたから、そんな管理職が回りにわんさかいたから、筆者は『暇には敏感』だ。
ブログを毎日書いている今のほうがサラリーマン時代より働いているかもしれない。収入はゼロだけど、エネルギーは本読み・テーマ設定・文章書き・校正など多岐にわたる。悪戦苦闘の毎日である。小人は暇になるとろくなことを考えないし、しないので私なんか要注意だ。私が暇なときに何をしていたのか、サラリーマン時代を思い起こすと多かったのが談笑であった。相手も暇人と見えてずいぶん付き合ってくれた。仕事の内容の詰め寄り、雑談の中で「実は私的にこんな悩みを抱えているんだ」と話してくれる。長男が何を考えているのか、どこの大学に行き、何を勉強しようとしているのか皆目わからないとか。社内の同僚に話すとあっという間に拡散するから他人の私の方が気楽な会話になる。暇時間の利用で少し気が楽になる。
人間は静かに生きることが嫌な動物種のかもしれない。我が家の庭に咲くツツジやバラたちブルーベリーの木々を見て、人間が掘り返して移動させないと動かず、静かにそこにいて太陽を浴びて、根毛から水を吸い込んで葉で呼吸をして、時期が来れば、誰が見ていなくても黙って咲いて黙って散る。隣家は誰も住人はいないが秋には見事なツツジが紅葉している。移動は戦争を引き起こす、国境線の変更も。しかし、国境線が人工的に引かれただけならどうする?国境線を越えて移動するのが難民たちだ。貧と飢えや戦争から逃げる。それに壁を作ろうとするEUとアメリカ。インターネットが先進都市の豊かさの幻想を世界中に撒き散らしている。虚栄の都市に過ぎないのに。
