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著者名は、ワイインセイと読む。

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ブログで3回くらい引用させてもらった『一月一話』(岩波新書)が1995年に60編が追加され単行本化されていた。仕事にかまけて出版情報に疎かった、恥ずかしい。岩波のPR雑誌『図書』に毎月連載されていた人気のコラムだ。


筆者も『戦争絶滅法案』(長谷川如是閑作)の話や『ナポレオンが武器を持たない沖縄に驚愕』の話など書いた。きょうはタイトルだけお借りする。偶然が大事故につながるケースも多い。チェルノブイリ原発事故やNASAのチャレンジャー爆発事故が実は機械操作者の睡眠障害(不眠症)から起きたことはよく知られている。夜は熟眠した人がそこに座っていたら、大事故は起きていない。


第一次世界大戦のきっかけ、オーストリア皇太子夫妻の車がボスニアで暗殺された事件も、歓迎式での帰り、皇太子の希望で病院への慰問に変更。当然、コースも変更することになったが、先導する市長車の運転手が間違えて、旧コースへ。注意されて停車、バックしたとき、後ろを走行していた皇太子夫妻の車も速度を落とした。そのとき待ち伏せていたセルビアの若者のブラウニング短銃で殺された。病院への直行コースを選択していれば、暗殺はできなかった。


私の知人でタバコのショートホープ愛煙家がいる。奥さんの親の法事の帰り、自宅から国道へ出ようとしたが、ふと見るとタバコが本数少ないので、タバコの自動販売機のある別な小道を選択した。そこで驀進してきたBMWと正面衝突。乗っていた車がホンダ車の厚いボディーの中古車で知り合いから買ったばかり。彼はあと数ミリ脊髄のほうに障害生じれば即死であったと医者から言われた。以来、一切車には乗らず、しかし、ホンダ車をくれた人へ感謝している。


私の交通事故もそうだ。メーン道路の隣の道を平行している市道を走行していた。交差点は『一時停止』『一時停止』の連続である。友人の新築祝いに版画を探しにある店に向かっていた。自身の転職の悩みを抱えて、ラジオからはロスアンゼルスオリンピック男子マラソン中継の真っ最中。瀬古と宋兄弟全盛のころであった。注意力散漫。私は赤信号であったにもかかわらず、一時停止と思い込み発車、すると右から軽自動車が私の運転席側のドアに衝突。運転手はラジエーターの水を垂らして、ハンドルの上で気絶をしていた。軽自動車で命拾いをした。被害者は信用金庫に勤める人で『自分が100%悪くなくても、事故を起こしただけで出世に響くので示談にしませんか』といわれて、解決は早かった。もしトラックだったり、向こうが即死したりすれば、私の人生も大幅に変わってきたと思う。職探しどころではない。当時3歳の娘は衝撃で頭を車の天井にぶつけて、頭をへこました。申し訳ない。職探しのために32歳で免許を取得したばかりでもあった。


私の結婚も高校の同級生と喫茶店で会う予定を10分遅刻して、混雑する札幌地下鉄駅で遭遇。妹の会社の同僚で一度だけ筆者の同人仲間4人と女性4人で小樽へ生寿司を食べに行き『お互い、生意気なやつ』と印象は最低であった。それが数年後、偶然の再会であった。人生、何があるかわかりません。正直な感想です。しかし、これだけはいえる。必然は偶然の事件経過後の後付け話だと。第一次世界大戦はオーストリア皇太子夫妻の暗殺がなくても起きたかもしれない。当時の世界情勢を考えて。しかし、偶然の出来事で人生ががらりと変わるのも真実だ。余裕のある人は『だから人生は面白い』と言うし『だから人生は残酷だ』と子供を失った親や不慮の事故に巻き込まれた遺族は言う。『偶然は最大の曲者』かもしれない。人事も偶然の要素が80%だと思えば少しは気が楽になる読者も多いと思う。


一寸先は闇であったり、光であったりする。一日の暮らしの中でもそうだ。まして何年も何十年も生きていると大波・小波で押し寄せてくる。

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