戦費から考える太平洋戦争ほか(2015年8月掲載)
戦費から考える太平洋戦争
盧溝橋事件から始まる第二次世界大戦は、一体幾らのお金が動いてどこへ支払われたのか、沢山の犠牲を払って、どこが儲けたのか、あれこれネットで調べてみた。お金の話である。
日清戦争で2億3340万円、日露戦争はユダヤ系アメリカ人ジェイコブ・シスの資金提供(戦時国債50万ポンド引き受け)もあって18億2629万円。当時のお金をいまの金額に直すと日清戦争は400億円、日露は7300億円だ。では太平洋戦争では幾らの国費が使われたのか?いろいろな費用も加えて7558億円と言われる、いまのお金に直すと150兆円。
昭和44年度の日本国の予算が6兆6000億円だから、23年分の国家予算を使ったことになる。戦死者は軍人215万人、市民40万人以上(ちなみにソ連2000万人、中国1000万人超え、ナチスドイツ700~900万人、朝鮮40万人以上、アメリカ42万人)。
お金の話に戻ると、使途の8割以上は兵器を中心とする物件費で、民営工場へ委託していた。日本銀行本店を窓口にして支払われていた。一番多かったのは、三菱重工業や日立製作所(三井系)などへ6割、三井物産や三菱商事など商社へも多い、後は物資を運ぶ船舶を含めた運輸会社など。戦後GHQが財閥解体を意図したことが、金銭面からわかる。
敗戦前年1944年の国家予算934億円のうち、80%超える735億円が軍事費で消えている。費用の調達はもっぱら公債を発行して、金融機関や国民(戦時公債として戦後反故にされた)の負担、それでも足りず、占領地や植民地へも負担を強いた。泥棒国家(国家とは泥棒行為を正当化して、官僚や軍人、政治家を養う仕組みだと言う人もいるが)に追い銭であったかもしれない。精神論とか心や魂の話が新聞を中心に国民を煽り、部数を伸ばしてきた(新聞は実は戦争が大好きである、選挙も亜戦争かもしれない)。
政府は必ず嘘を言い、それに追随するマスメディアの自称客観報道がある。これは、全世界の政府や国民との間に横たわる虚無川を挟んで、いつになっても超えられない。真実を追いかける少数の人はいるのだが、どこで何を書いたり、話しているのかわからないときがある。
ましてや戦争を体験していない我々は、幸い、アメリカ軍が写した日本軍や民間人の映像、父親・母親の戦争体験の聞き取り(生活)、香月泰男のシベリアシリーズの絵、大岡昇平の「野火」、吉田満の「戦艦大和の最後」渡辺一夫「敗戦日記」まだまだ当時の記録として後世まで見られ、読まれるものが残されている。大西巨人「神聖喜劇」もある。死と隣り合わせの人生が国中を覆っていた時代の空気を吸ってみる、しかし、それを支えていた戦費の調達や支払先へも注視したいものである。ずばり企業名をどんどん出す戦争番組がもっと民放やNHKで放映されんことを。
(注 戦争当時の物価水準といまの物価を比べて正確な金額が書いている資料ごとに違うので、困ったことを伝えておきたい)
ゼロ戦パイロットの弟。
お金の話と言えばイージス型ミサイル迎撃システムをアメリカから導入する話が浮上している。軍事予算を増やすには、不安定な情勢の今が絶好のチャンスと考える政治家も、私達と同様、実は戦争経験が無い世代になっている。従って、近代兵器さえ有れば国を守れると考えるのだろう。アメリカは、ビジネスマンだけあって、自国の利益を考え、我が国の不安を幸いに、如何にもタイミング良く高額な兵器を買わせようとしている。日本では特別な近代兵器と思って居るが、実はイージス艦の船部分が無いだけで何も珍しくもない。たった2基で日本全土をカバー出来るとうたい文句も軍事関係者には導入の決め手に成るセールスポイントだろう。科学の進歩はコストダウンに繋がるはずなのに、近代兵器に成れば成る程コストは天井知らずだ。