タンス預金、パナマ文書、仮想通貨。
さて、この3つの単語を並べてみると、共通項が浮かび上がる。金利が0.1%の預金ではATMで土日利用でもしたら手数料で配当が消える。銀行をタンスと思って預けている人がほとんどであろう。しかしマイナンバー制度で預金額が国に捕捉され、課税対象になる。自宅に金庫を買って、それに現金を抱え込み税金逃れをする人が急増している。1説には43兆円が眠っているらしい。(ちなみに日本の税収は約50兆円)私の家には金庫はない、床にも金の延べ棒がない。パナマ文書も大金持ちが、昔のイギリスの植民地の島(当時から商品売買の決済をしていた島である)に資産を移動しての脱税(見方では合法)する。仮想通貨も基本は、にわか勉強ではあるが、これまでネットワークの中核であった銀行や政府の大型サーバーを介さず、すべての端末が対等な関係で(これをP2Pと呼んでいる)電子通貨システムを構築できるとする。このシステムについて論文を書いたのが謎の日本人サトシ・ナカモトである。最初は、銀行の当座預金かなと思ったが、一気に元金の100倍や200倍になり、30代の億万長者が誕生ニュースになると、高齢者社会で自分たちの年金支給開始年齢が70歳までに伸びる予感ニュースが流れたりすれば、未来の国、自分たちが今後生きるだろう未来に希望が持てなくなり、一攫千金に走るのも無理のないところである。さらに、アフガニスタンで『アフガン女性に金融力を』ということで、女性蔑視の文化から銀行口座をもてなかった女性にビットコインで自由にお金を使えるよう運動をした女性もいる。戦乱になれば最初に銀行が襲われたり、契約文書も破られる。その点、パソコン上に契約内容を記録しておけば保管される。お金と一緒に。しかし、これらに共通しているのは、ひとつの国家という制約から逃れたい志向ではないだろうか。そういう意味では自由度は高いコインである。話変わって、金融の世界で女性が銀行口座を持てるようになったのは新しく、アメリカで1960年代、イギリスでは1970年代になってからである。どうりでアメリカの習慣に家計をやりくりするのは男の仕事みたいな話がごろごろある。アングロサクソンにも女性蔑視の文化が根強くあるのかもしれない。その点、日本は威張る夫が家計をやりくりするとろくなことにならないので、どこの家庭も大半、奥様が握ってるはず。

昔の少年。
仮想通貨の事はさっぱりわかりませんね。昨日もオフイスに税務署から3月中旬に3日間ほど伺いたいとの電話があったが、税務査察と言う事なのだろう。今回の事業を初めて5期目に入ったが、そろそろ税務署からも目をつけられる時期なのだろう。目的は追徴税のネタ調べなのだろう。こんな具合で、銀行預金をしても税務署、事業をしても税務署、働いた対価の給与も、年金さえも確定申告を正直にやっても税金に消える。今回の査察?予告も税務署に税金をちゃんと払っていても更に来るわけで、我々が汗水かいて頭を痛めて体力も気力も使って働いて得た利益が自身に還元されるどころか、すべて徴収されるとなると、国家や世界の金融の構造枠から外れたくなる。ところで仮想通貨で儲かった利益は税務申告対象外なのでしょうか?。
seto
仮想通貨で儲けたのは一時所得で課税の対象になりますね、きっと。地上に生きていれば。仮想通貨で払えばいいですね。もともと
税金は軍隊と官僚、政治家(あるときは荘園主や貴族)当時の教会を養うために商人や農民や手工業者や信者が払っていたのではない
でしょうか。いまと似てます。払った対価が戦争になると守ってくれる、悩みを聞いてくれて天国へ送ってくれる、住民の暮らしやすい
環境を整備してくれるはずでしたが、現実は戦争費用の捻出、兵隊への参加(徴兵)などろくなことはありません。現代とそっくり。
面白いのは『金儲けは民間がして、俺たちはそれからの税金を使う人』と決め込んで生きてる人が多くいます。近所の社保庁に勤務して
天下り2回した人は『税金は取られるものではなくて、払うのが国民の義務だ』と強く主張して輸入車に乗り、先日はヒマラヤ遊覧に行き
ました。全部、税金が原資の暮らしですが、感謝がありません。
昔の少年。
仮想通貨のみで商売をすれば、税金も仮想通貨で支払えばいいですね。なにしろ、現金は実在しないわけですからね。結果、仮想通貨で官庁や政治家の給与も、ジェネコンへの公共工事代金も支払われれば問題はないですね。そうなれば造幣局は不要になりますから記念紙幣とか記念コインを製造するしかないですね。
seto
純金に裏づけされない現代の紙幣はすべて、信用というフィクションで成立している物語です。大インフレでは物を買うのに
リアカーに紙幣を積んで行った時代がありました。第一次世界大戦のドイツです。この過酷なベルサイユ条約はナチスを生む
元凶になりました。フランスがナチスを生んだといえます。税務署もゼネコンも国家予算も私のバイト代もすべてフィクション
です。しかし、このフィクションで人は死んだり、殺したりの現実が起きます。キーワードは『信用』です。仮想通貨もそれを
信じる集団(今回は28万人もいました)があって成立する。でもその集団が現実の円に変換を求めだすと、それは投機マネー
で本来の仮想通貨、国に頼らない、バックに政府の信用を置かない自由流通から外れていきます。なぜこういう発想が出てくるか。
元々紙幣はさっきも書きましたが、もう『信用』で成立する『フィクション』でしかないないからです。そして紙幣の本質は運動
ですから。旅行に行ったり、レストラン、車や家へ、教育へと消えて(運動して)いきます。お金は少しの間(生きてる間)預からせて
いただきます・・程度に考えると気持ちが軽くなりますよ。回ってきませんが。