水耕栽培野菜レストラン

孫引きながら、全文引用します。出典 平川克美『小商いのすすめ』より。この文章をどう読むか?

『貧乏でも自分には力があるから平気』と言うのが人間の強さというもので、これを捨てたら、人間おしまいである。『若い男が貧乏であるということは、人類の歴史を貫く真実で、そしてこのことこそが人類の未来を開くキーだからである』というのは、社会生活というものを営むようになってしまった人間の本質は“若い男”であって、若い男は強く、そして若い男は強くあらねばならないという、それだけのことである。強いんだから貧乏でもいい、なぜなら“富“とはその“強さ”の結果がもたらしたもので、自分の弱さを隠ぺいするために“富”という武器を使ったら、その人間社会は根本を衰弱させて滅びてしまう、それだけの話なのだ。

私の少年時代(昭和30年代)は私を含めて周りは明るく貧乏人だらけだった。60歳を超えてクラス会を開いても大金持ちは誰ひとりいない。一方、今は若いときから、親に小遣いをもらい、奔放に遊び呆けてきた男がある日、クスリで逮捕。『若い男は貧乏である』というところから始めれば、その後、悠々と生きられると思うのである。それこそ、自分の弱さを隠ぺいするために富(親からもらうか株で一気に稼ぐかの違いはあるにせよ)を使うと、その人間社会は根本を衰弱させ滅ぼすという部分はわかるし、身近に何人かいた。高い給与をもらいパチンコ三昧、競馬三昧も多かった。共通は一生懸命に仕事をしない、しないうちにできない人間になってしまっていることだ。働かない癖(働けないではない)が一度憑りつくと取りにくいということは逆に『働く癖』を持ち続けることが、過分な富を生み出さなくても納得いく生き方に近づくのだと心得たい。

新型コロナウィルスによる各業種の売上・利益は大幅な減少になる。それに伴って派遣切りや早期退職を促す会社も増える。4月からの就職予定の内定者の取り消しさえ出ている。生きる時代を自分で選ぶことはできないにせよ、過酷な世の中になってしまい、どうやっていこれから生き延びていけばいいのか。ヒントになることがあれば、今後書いていきたいと思う。いま言えるのはとりあえずブランドは捨てよう・・である。

  1. 貧乏暇なし年中薄給。

    今になって思い出して見れば、若い頃の自分は、どうしてあんな無茶な事をしたのだろう?と。若者が生きる上で、先が見えている者。また先が見えない者。の二通りがあるのでは無いでしょうか。いずれも若さ故に不安は有っても希望もあって前向きになれるのでしょうね。前者はある程度先が読めますが、私のような後者には先の事は全く読めませんでした。兎に角、その場その場で形振り構わず一生懸命生きるしか無かったと思います。幸いにもそんな私にも良いお手本がありました。それは、戦争で全財産を焼かれ、身体一つで疎開した父母や兄姉たち。そして疎開先の真面目な村人たちの生き様でした。家族の暮らしを守るには最低限の収入か、食料が必要です。わずかな収入の為の労働とそれを補う自給自足の暮らし方は、現在と同じ環境では無いとしても、知らず知らずの内に自分にも沁みついていたのかも知れませんね。

    • 私は長期バイトを含めて10種類以上の仕事をしてきました。父親が定年になっても働き続ける姿をみていました。ジャガイモ農家で少年時代から畑仕事、父は生きるとは働くことであるという見本でした。これといった趣味もなくわずかにカメラをいじる程度。定年後買った家も石狩川の40年前の大洪水で床上1メートル。また苦難。二男の私はプータローでしたが、バイトだけはしていました。

    • 私の住む団地のはずれに、自給自足っぽいログハス団地があります。燃料はみなさん、マキを積んでます。畑がもちろんあって、井戸水を使用している気配ですが、確かめていません。私の住む団地内でも夏にマキ割りをしている人もいて、いざというとき太陽電池同様、インフラに依存しない新しい生き方だと感心します。札幌の街に出ると、商品や娯楽に溢れて、金さえあれば楽しめる・時間をつぶせますが、静かな暮らしが合う年齢に突入です。

  2. 貧乏人ほど気前がいいと思いませんか?。大金では無いにしても、ちょっとお茶を飲んでも食事をしても、つい、おごってしまうなんて事が多いと思いませんか。こんな行為は決して悪い事では無く、むしろ相手に好意を持って居たり、感謝の気持ちがそうさせるのです。一方小金を貯めるタイプの人たちは、そんな貧乏人から見れば信じられないほと大胆で平気で冷酷な態度を見せますね。例えば、頼み事を自分からしておいて、言葉での謝礼はするけれど一切、物質的、金銭的な謝礼などしません。ただで利用できるものは利用して大満足なのでしょう。そうして小金を貯めるから貧乏人との差はますます広がります。お金は不思議なもので小金を持つと、人の態度は強くなります。小金がその人のプライド代わりになって、つまり貧乏人は見下されるわけです。そんな私たち貧乏人の共通のプライドは人情くらいですかね。

    • 貧乏人に優しいのは貧乏人だけです。気前のいい人は現在、貧乏か貧乏の味を骨身にしみて、現在はまあまあの暮らしをしている人だけです。誰でも見栄はありますから、『どうだ!金があるだろう!』と夜の世界でお金を見せつける人も多いですが、本来、そういう人は日常生活でケチです。というより他人を信用していません。そういう人もいずれお棺に入るわけですからね。自分はいつまでも生きると思ってお金を貯めてるところありますね。長屋と落語の世界はいつまでも大事にしたいことです。

  3. 一代で大企業を築いた人たちの若い頃の話を聞くと、私たちには信じられない苦労をしている事が多いですね。例えば大手食品メーカーの社長さんは、小学低学年で親から土地を借りて野菜など作物を作り、それを収穫期にリヤカーで街まで運んで売り、コツコツと親に返済した話など、確かに自分も貧乏ではあったにしろ、親に面倒ばかり掛けて、まだまだ甘かったと思いますよね。親の手伝いはしたものの、嫌々でしたね。しかも一日のノルマを掛けられても中途半端でした。幼い頃から自主性が有るか無いかで、その先の生き方も大きく変わるのでしょうね。人にもよりけりですが、貧乏は人を強くしますね。果たして自分は?。

    • 昭和30年代の子どもの写真を見ると皆貧乏で皆明るいと言う不思議な時代でした。バブル期は狂気のように土地と株(私にはまったく縁がない)で儲けた・あるいは大損をした人が周りにいましたが、悪銭身に付かずではなかったでしょうか。自分の欲望を自分でコントロールする癖を小さなころからしつけるのが、子供への親からの贈り物ではないですかね、そう思います。

  4. 働かざるもの食うべからず。

    今では、当たり前のように代休を取れたり、定休日や祝日が増えて、例えば、職種にもよりますが、一般サラリーマンや学童・学生は、5月などはGWと土曜・日曜などで半月近くが休みですね。つまり世間一般では働く事より休みを重視する風潮が強くなっています。そんな時に働く奴はバカ扱いさえされる始末です。ですから働く事が好きな人にとっては住みにくく成った訳です。

    • 楽しい仕事、夢中になる仕事なら休みなんか要らない(家庭も要らなくなる?!)と思った時期もありました。日本人の働き過ぎとか余暇をどう過ごすとか休みをたくさん取りましょうとか、余暇開発センターができてからの現象ですね。小売りの商店にとっては休みなんて取れません。働くのは私は平気でした。いまは昔の元気さも無くなり哀れですが。

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