先日も書いたが恵庭にある三神教会は出雲大社と直系の神社。縁結びの神を求めて男女がやってくる。筆者はブログネタ探しも兼ねて遊びにいく。悩みの無い人はもともとお寺には上り込んでこなかいら。

  1. お寺には葬儀とか法事の時しか行きません。それも遠い本州のお寺ですから疎遠になって何年も?いや何十年?も行っていませんね。父母の永代供養とかお願いしたのでしたが?、お寺は手ぶらでは行けませんから。その点、神社なら僅かなお賽銭(45円=始終ご縁がありますように)と、おみくじを引く200円ばかりで気軽に行ってお参りできますね。精神的に参っている時などには、何かを念じるだけで心が落ち着きます。神様だって大勢の人のお願い事を全部叶える事などあり得ないでしょうからムダなお願いとは知りつつも、自分自身に区切りを付けにお参りする事はありますね。しかし神主さんとお話まではしませんね。神社のお参りは、何故かそそくさと帰って来ます。

    • 私はお参りせず、おしゃべりとコーヒーを飲んで喫茶神社です。お参りに来る人を観察するには絶好のポジションです。神官から私に『あなたは神を信じていませんよね』と言われますがそうかもしれませんが、現代の家族について語り合いますよ。45円とはいい話を聞きました。今度実践しますよ。たくさんの悩みを抱えて神社に来るわけですが、一番は結婚、そして家族関係の悩み多いです。夫婦間、子供、嫁姑。全部、形が違いますから神官側の聞く方が疲れやしないか心配になりますね。御朱印もらいも増えて、これってレジャーですね。道の駅のスタンプラリーの神社版。中庭に水子地蔵もあるのでこちらには手を合わせます。

  2. 結婚式を神社で挙げました。二人とも実家から離れた土地でお金も無く、写真館に行って記念写真を撮って貰い、神社に行って「松・竹・梅」の中の一番上の「松」で当時3万円ほどでした。参列者は私の仕事仲間の知人女性が二人来てくれましたが、せっかく来ていただいたのに?それが妻には気に入らなかったようです。お祓いをして誓詞を詠んで簡単に経済的に済みました。本州の義理の妹からは「あんた達、犬や猫じゃあ有るまいし?そんなの直ぐに離婚するね」とか言われました。しかし不思議なもので、そんな義妹は結婚も即離婚して取っかえ引っかえ男を変えて最終的に、子連れのヤモメと結婚しましたが、先夫との子供たちも離れて行ってしまいました。正直言って結婚とは幸せばかりでは有りませんが、スグに離婚するとか言われた我々が未だに離婚もせず、言った当人が波乱万丈の人生なんて?人それぞれですね。今思えば、神社とはそんな関係がありましたね。

    • 私は貯金ゼロ円で結婚しました。式は新婦のためにするもんで新郎はゼロ円でOK、あとは新婦側で好きにしてということ。婚約指輪なは1万円のファッション指輪、結婚指輪は3万円と奮発。40年がたちました(ため息)。予期しないことがたくさん起きますから(今後も)お互い、したいことはして食べたいものは食べて言いたいことは半分程度にして淡々と生きたいと思いますが、どうなるやらです。

  3. 神社へは祝詞を知っている知人と行きます。流暢に3種類ほどの祝詞を、何も見ずに唱えます。今度覚えて知人を驚かそうか?と思い祝詞をこっそりスマホで録音しましたが、未だに覚えられません。それもそのはず実家の浄土真宗のお経すらあんまり覚えていませんからね。またお盆が来ましたが、神道の人ってお墓参りでも祝詞なんですね。

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