見せびらかしの経済(2021年版)

見せびらかしの経済(9月6日の地震後)
Posted by seto
渡辺京二さんの『無名の人生』(文春文庫 156~157)に、ヴェブレン(経済学者)が引用されていて今の社会に見られる経済現象を(衒示の経済)(衒示とは見せびらかしの意)と命名した。富裕層は多くの贈り物をすることで自分の勢力(金や権力)を誇示した。その現象は大衆まで巻き込み大衆消費社会となり、今日まで続いている。誰もが消費することに血眼になって、消費物やサービスを受けるために金・金・金・金。出世や成功談の蔓延、自己実現や自分の才能の開花を目指すが、才能がたっぷりあっても磨く努力をしないと枯れるだけである。欲望は物がそこにあって発動する心理だ。ブランド物が何もない地域では、ブランド志向はあり得ない。必要最小限の物や事に満足していれば、現代の消費社会に飲まれることはなくて、わが道を生き切れるということでもあるが、果たして、小さなころから集団で同じような流行物に囲まれて、その話題についていかなくても平気のヘイさで『人は人、私は私』と念じながら生き続けるのは容易なことではない。
(見せびらかしの経済)とはよく言ったもので、人間が基本的に生きるために必要な水や米についてもいつのまにか水を買う、コメも銘柄で選ぶ時代になった。運動の後の水道の水をたっぷり飲んで十分美味しいし、水分補給もできるのに、スポーツドリンク飲料と命名された飲料水を買って飲む習慣(すべて習慣化すれば商機は勝ちである)に嵌る。いつのまにか、『○○は○○でないと嫌』人間を排出する羽目になってしまった。
パソコン普及のころ、MAC信者がたくさんいた。WINDOWS派をずいぶん小馬鹿にしていたと記憶する。広告制作ソフトがたくさんあって、自称少数派を自慢していたにすぎず、それを使ってどれだけ会社に貢献したかを考えると『単にMACを自慢、見せびらかしをしていた』に過ぎない。それも会社に100万円を超える本体&ソフトを買わせて威張っている。何でもアップルの最先端を追い続けている。あるときもう制作部は外注を使うからと廃部となり、営業に出されたらノイローゼ(懐かしい日本語)になり、退職願を出した。頭を下げる仕事はプライドが許さないのか。よくわからない。
『見せびらかしの経済』はどこか、他人に向かって顎を突き出してツンとする姿に見えないか?黄色いカブトムシの車、真っ赤なボルボ、黒のクラウン。好きだ嫌いだ以上に見せびらかしの心持が伝わる。育ち・学歴・企業名・肩書・収入額・グルメ。全部、それはその人の本質ではなく属性の一つに過ぎない。最近、美しく生きている人が少なくなってきた。それは顔にも所作にも出るからわかる人にはわかることである。特に男の顔にいい顔が少なくなった気もする。40歳以上の男たちである。いい男の顔って、筆者が想像する顔ってどんな顔と言われたら、ずるくない顔のことである。それ以上でも以下でもない。我慢する顔である。お前はどうだと言われたら「発展途上である」と答えることにしている。

10 thoughts on “見せびらかしの経済(2021年版)

  • 2021年5月25日 at 12:51 AM
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    見え張る「見え春君」なんて言葉も以前流行りましたね。確かに人間は見栄を張って生きています。特に男性は女性に対して。そして女性は女性同士で。いや鳥だって動物だって同じでしょうね。ただ同じ見栄でも我々人間はお金が掛かる訳で、特別な人を除けば、夫々それ相応の見栄しか張れません。我々長い間サラリーマン生活に明け暮れた者なら、せいぜい自家用車とか住宅とか身に着ける物程度ですね。もう少し余裕がある者であれば同じ持ち物が俗に言うブランド物に成りますね。それも猫も杓子も同じようなブランド物に成るから可笑しいですね。例えば時計ならロレックスだとか。今時腕時計など無用の長物で、長い間腕時計など持った事もありませんが信じられない高価な物なのですね。これ見よがしに威勢よく走っているクルマはベンツとかポルシェなどが多いですね。私など仕事の関係で輸入車には乗っていますが目的は荷物運びですからね。下のクラスですから、彼らに馬鹿にされたように割り込まれ追い抜かれます。あの連中の交通マナーの悪さは皆んなが迷惑していますね。誰も自動車税を払って道路を走っている訳ですから我儘すぎますね。私は猛スピードで追い越した彼らに向かって「死ね!」と、たった一言だけ叫ぶ事にしています。むしろこっちの方がマナーが悪いですか?。

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    • 2021年5月25日 at 8:59 AM
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      昨日、16世紀の思想家トマスモア「ユートピア」をぺらぺらめくってました。すると「貪欲と略奪心は、あらゆる生物の場合には、将来の欠乏に対する不安から起こりますが、人間の場合には、必要もないのに、ものを見せびらかして他人を凌ぐことを栄誉と考える高慢心だけで起こります。」(中公文庫124p)断頭台に消えてしまったトマスモアでしたが、見せびらかしは時代や地域を超えて(全部ではないと思いたいですが)広く行われている現実なんでしょうね。またそれを煽るのが広告と販促のポイントになります。都内の不動産会社の人がタワマンのコピやカタログを作るときに外注者に申したのは「タワマン買うのはニューカマー(地方から小金を持ってやってくる田舎者)が多いから、彼らの優越心を煽るコピーで書いてくれ」と聞いたことがあります。自分の教養を高めるために投資すると言う考え方は、もう古いのでしょう。すべては消費されるための都市的な発想です。大脳を洗脳して感情に訴えます。

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  • 2021年5月25日 at 1:05 AM
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    我が家にはブランド物は少ないです。カミさんがさほどブランド物に興味を示さないので大変助かっています。以前、同居していた娘はさすがに若いのでブランド品のバッグなどは持ちたがっていましたが、最近では熱も冷めたみたいです。むしろ同居の中学生の孫たちが、ささやかなブランド志向ですね。着る物ならTシャツやジャンパーやシューズがアンダーアーマーなどだったり飲み物も有名銘柄の缶ジュースだったり、通学バッグも有名メーカーだったり、学校の集団の中で目立ちたいのか?それとも誰もが同じ思考なのか?は不明ですが。我々の中学時代には肩掛けの丈夫な鞄で自転車通学でしたが?。いや?待てよ?そう言う私も飲み水は谷水を飲んではいましたが、東京の姉に頼んで買って貰った真っ白いバスケットシューズなんか履いていましたよ。それにこれも東京で買って貰ったツバが短く深めの学帽に真っ白いカバーをかけて学校でただ一人カッコつけていましたね。もちろん好きな下級生の女子のバスケ部でしたからね。お互いに顔を併せれば赤面するくらいで終わりましたけどね。孫たちも遺伝ですかね。

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    • 2021年5月25日 at 9:08 AM
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      私は見栄を張るといっても国鉄職員の集合住宅でジャンパーも親父から兄へそして私へともらい着てました。持ち物に関心なかったですよ。欲しかったのは真っ白なトックリセーターくらいでしょう。娘は京都で大学時代を過ごしたので、ブランドやおしゃれの洗礼を浴びて、とんでもない格好で小樽港から降りてきました。オレンジ色の髪の毛でしたから、高下駄履いて。財布もブランドもの。典型的な田舎もんでした。とにかく地味な東区の工場街に育って、すすだらけ、食品の匂いプンプンのおしゃれに無縁の町でした。それがかえってよかった。妻のOL時代は羽振りよかったらしいですが、根が商店の娘で親が金のやりくりを月末年末している光景を見ているので、贅沢より貯金志向でした。

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  • 2021年5月25日 at 1:35 AM
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    私は会社でノートPCを初めて使ったのはIBMの小さなラップトップとか言うシロモノでしたが、サッパリ使えませんでした。それまではワープロでしたから、かえって不便にも感じました。当時はメモリーも少なく後から増設しましたが制作などには不向きでしたね。写真など取り込もうものなら固まってしまいましたから。そんな頃、会社が倒産して自分の事務所を立ち上げてウインドウズのタワー式の同型を2台とスキャナーとMDドライバーやCDドライバーなどを購入して一台は大通に借りたオフイスに、もう一台は自宅に設置しました。会社の登記書類も自力でPCで作成して自分で登記しました。何せ仕事よりも時間があり過ぎたので独学で遊び半分にいじっているうちに覚えたものです。その内に知人のデザイナーが古いフラットベッド型マックを1万円で譲ってくれたので中古PC屋さんで1万円払ってカードを増設し、恐る恐る使ってみました。物は試しとデザイン制作をしてみました。試しに印刷発注すると、何と?印刷原稿データとして通用したのです。それからと言うものはデザイン外注しなくても全て自分で完結できる事になり、これまでマックのデザイナーに依頼して居た部分も自分でやる事になりました。その後、中古専門ですが数台の各種中古マックを買い替えては使いましたが、元手は余り掛かっていません。今も中古の大型のデスクトップ2台と15インチと10インチのマックブックが活躍しています。但し、私の場合ウインドウズも必要ですから全てにブートキャンプと言うソフトを入れて居てオプションキーを押しながら起動すれば、マックでもウインドウズでもどちらも選べるようにしています。外見はマックですが中身は二刀流と言う訳です。ウインドウズのデスクトップもノートPCもありましたが今は使っていません。今思えば最近では随分進化して昔のPCは使えませんね。最近ではマックも新型が出たらしいのですが、かと言って不景気の最中ですから、残念ながら、まだまだ買い替えなど考えらえませんね。

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    • 2021年5月25日 at 9:21 AM
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      MAC使えるか使えないかで営業に出された制作室社員がいました。「MACを習って制作室に残るか、できないなら営業に出るか」です。彼は営業に出ました。しかし、仕事らしい仕事はできませんでした」。57歳で辞めました。ウインドウズ95が入って、職場が激変していきました。MACできる人は、どこか威張ってました。大いなる見栄を張れたんでしょうね。仕事を取ってこないとMACは動かないですけど。制作室にいた人で彼以外に営業に出されて、うつ病になり出社拒否でそのまま退社も2名いました。見栄も捨てて、外回りで頭を下げることが嫌いなできない人が多くなりました。自分が見栄を捨てれば相手も見栄を半分くらい捨ててくれる人多かったですがね。そこから新たな人間関係が生まれるのに。

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  • 2021年5月25日 at 1:40 AM
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    水は家では水道水を飲みますが、オフイスでは市販のボトルのお茶にしています。事務所のビルも古く水道も飲料水には難があるからです。昔の人間ですから水をお金を払って買う習慣が有りませんでしたから勿体ないと思いますね。真夏の炎天下で飲んだ田舎の谷川の水の美味さが今も忘れらえません。

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    • 2021年5月25日 at 9:26 AM
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      日本の水道水はトイレでも使うのでもったないです。地球の帯水層から水をくみ上げるネッスルやコカコーラ、日本でも過疎地でくみ上げられてラベルを貼って売り出す水。子どものころ水を買う生き方はなかったです。札幌市も水道水を100円で売ってますが。自分に合う水はこれだと決めている人もいて不思議な文明社会です。第二次世界大戦で飲み水もなく死んでいった兵士を考えると複雑です。

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  • 2021年5月25日 at 6:50 AM
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    いい顔には、なかなかお目に掛かれませんよね。しかし私の周りにも数人いますよ。顔を見ればホッとしますね。心を開いて話せるし、何を言っても聞いても角も立ちませんし、顔を見れば充実した気分にさえなりますからね。心配なのは健康だけですね。このまま皆んなが健康で居られれば良いのですが、先の事は何とも言えませんからね。不思議なもので、そんなに頻繁に会わずとも、いい顔は忘れません。共通しているところは、これまで苦労していても、見せないところですね。

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    • 2021年5月25日 at 9:32 AM
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      いい顔の人はいい生き方をしてきたと思いましょう。政治家にはひとりもいません。戦争を体験してきた自民党の政治家にはたくさんいたのですが、後藤田正治、藤山愛一郎とか、自民党といっても左から右まで豊富に人材いましたね。勉強好きが多かった。こういうところを見せびらかしてほしいものです。

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