Posted by seto

出だしの5行はこうだ。(谷川俊太郎選 茨木のり子詩集 岩波文庫 256p)

人間には行方不明の時間が必要です

なぜかはわからないけれど

そんなふうに囁くものがあるのです

三十分であれ 一時間であれ

ポワンと一人なにものからも離れて

うたたねにしろ

瞑想にしろ

不埒なことをいたすにしろ

GPSや携帯でいつでも自分の所在地が明示されたり、呼ばれる昨今、『うるさいな、ひとりにしてくれよ』と思う人も多いはず。『いま、どこにいるの?誰といるの?』生死に関わる連絡ならまだしも便利さを悪用する寂しい人たち。行方不明の時間で実は自分自身を発見することが多い。好奇心もわいてくる。長い行方不明は事件になるけれど短い時間なら楽しいものだ。通勤時間も行方不明の時間にも思えてくる。帰宅までは謎の時間だ。パチンコするのもよし本屋やCD、立ち飲みやで一杯もいい。毎日行方不明の時間をつくりたいものだ。帰宅電車の中、適当な距離をとってたくさんの行方不明者が乗っている。リモートワークがダメなのは行方不明になりにくこと、つまり成熟の機会を減らすことだ。


それにしても一人になるのはむつかしい。なぜ一人が大事かと言うと「自分で考える」「自分の手を動かす」「溜息をついたり」「あくびをしたり」「死んだ親父やおふくろのことを考えたり」「あいつにまずい発言をして、あれってパワハラにならないか」「あいつ50歳目前で営業職を辞めて次にどうしようとしているんだろうか」。身近な本を読んでいると1時間は過ぎていくがほとんど夜中の時間だ。昼間にもこういう時間がたくさん欲しいものだ。

  1. 子供の頃から中学くらいには孤独を味わうのは釣りでした。簡単な真竹の自作釣竿にテグスと針。重りは河原に有る小石でした。餌は河原の柳の枝を割くと虫が出て来ますから、お金は殆ど掛かっていません。黙って流れる川を見ながら妄想するわけです。将来の事やプラトニックな恋愛?片想いの事など家では出来ない時間でしたね。たまに間違ってアマゴが釣れると我に帰るわけです。

    • いい時間を一人で過ごしていtのですね。釣りはほとんど集団で豊平川に行きました。危ないからです。流されて何人も流されて亡くなりました。サバイバルに適応できる知恵がついてる、昔の少年さんの遊びを誰かに伝えたいですよ。

  2. これまで行方不明は数え切れないくらいあります。家内は私のスマホにGPSをセッティングしたがっていますが私は同意しません。一歩外に出たら家庭とはまったく別世界ですから、それなりに自由に行動したいと思うからです。ある時は家庭内のオヤジ、またある時は勤め人、またある時は別人格と、つまり二重人格?いや多重人格が理想なのかも知れません。

    • 我に返る時間は、一番は寝ているときで(ひとりでね)、次は通勤、次は飲み屋、映画館、、カフェ、河川敷、車の中、GPS使えばどこにいるか補足されますから、グーグルも罪なものを作った物です。黙って相手を知る行為はこれだけではなくて、有名人にはプラバシーはおろかあることないかことかかれます。なんでインスタグラムなんてするのでしょう。長い文章ならともかく、あれって単なる自慢にしかなっていないのではと思います。行方不明は財産です、帰る場所のある行方不明ですが。

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