中小企業4社で給与生活を送ってきた筆者が感じる給与100万円の話。知人で40代に安定的なスポンサーを持って(スポンサーは個人所有の思い込みがある)独立した彼が最初に私に見せたのが、給与明細書だった。100万円だ。私も独立すれば稼げるぞと提示しているわけだ。税金その他の引かれる経費は見ていないが、嬉しそうな顔をしていた。社長だからね。別な小企業のでも社長からも私の給与をしつこく聞いてくる。「100万円もらってるの?」「もらえるわけないでしょう」と私。後でそこの女子社員から「仕事を全然、しないのに月々100万円をもらい、ススキノのスナックママに入れ込んでいる。自分たちは真面目に働き15万円。頭にきて会計担当者が、実印を床に叩きつけて辞めていったと」。当時、銀行や損保、マスコミならある年齢を超えれば100万円は給与としてそれほど驚く額ではない。私はもらったことはなかったけど。しかし、ある時期まで給与の目標ではあったし、夏冬のボーナス総支給額でも100万円は、夢ではあった。課長からいきなり部長人事出たとき、断らなければ優に超えられた給与ではなったが、縦関係の厳しさに死んでいたかもしれない。給与明細を私に公開した社長がいないところでは事務の女性から「事務所経緯、私の給与、社長の給与とすすきのでの飲み代を引くと赤字になるんだけど」と教えてくれた。なぜ無理と見栄を張って生きるづけるんだろうか?ススキノのママに貢ぐ社長は「もうマンションを1室買ったくらい使ったよ」と豪語していた。スナックでは「会長」と呼ばれていた。ここが彼の家庭だったんだ。100万円といえばバブル真っ最中、その年の4月入社の新人のテレビ局員ニボーナスが100万円がでたというのは有名な話。22歳や23歳でもらうんだから凄いや。
現代はそれはいいとして、私が43年前に27歳で正社員として勤めた初任給20万円とそんなに変わらない。家賃が下がり、光熱費や食料品も下がっているのなら豊かさを実感できるのだが、教育や住宅ローンを抱えると夫婦で共働きしないとやっていけない。どちらかも親たちが子供を看たり、学校の授業料を半分負担でもしないとキツイ暮らしでハッピーライフには遠い。
私がもし、給与100万円もらったら半分の50万円は貯金する。年間で600万円貯まる。手取り30万円で暮らせるよ。貧乏経験がこういうところで生きる。

給与も50万円近くまでは経験が有りますが、当時は無駄遣いしていましたね。サラリーマン時代は当たり前のように給与とボーナスを当てにして平気ですローンを組んだり、見栄を張ったりしました。今思えば勿体無い事をしていました。今では考えられない贅沢な生活でした。幾らでも預金も出来たのに何も残せませんでした。例え100万貰ったとしても同じ結果だったのでは無いかと思いますね。娘が小さい頃に借家の自宅でエレクトーンを習っていました。先生は大きな会社の経理部門の偉いさんの奥様でかなり年配者でした。ある日先生をクルマでご自宅まで送って差しあげる事になりました。ところが驚いた事にご自宅は老朽化したアパートでした。これが一流企業の高給取りのご自宅とはと驚きました。業界の噂では、ご主人は大酒飲みでギャンブル好きの散財家のようでした。消費者金融のブラックリストにも意外にも一流企業の方々の名前が並んでいるとの事ですね。
私も毎月給与50万くらいが限度でボーナスが多くて何とかローンを返したり、私立大学へせっせと運んでいました。あのころ経費が自由に使えてもいて、接待費は高級寿司屋とススキノの居酒屋、ホテルのレストランでサイン1発で出入りできたり、タクシーチケット使い放題でした。貯金は天引きでもしないと使えるだけ使うので貯まりません。この100万円という数字はサラリーマンの憧れの総支給額で、税金で減らされるとはいえ、いい暮らしができる、しかし、幸せな人生とは限りません。ここが味噌です。有人の給与100万の人も43歳で奥さん亡くし、子ども3人残され、60歳手前で脳梗塞、現役復帰しましたが、健康保険に入らず、2回目の発作で亡くなりました。そして会社倒産。一時的な給与100万円はあってもずっと継続的にもらい続けるのは至難。TVや新聞、商社ならある年齢を超えると軽く超えますが、中小のサラリーマンは相当にきつい給与ですs。初任給が私が勤めた40年前と変わっていない日本経済です。