
座布団貸してください、はいどうぞ。
現代では考えられないような地域社会があった。家庭訪問そのものがなくなって、親が学級の担任を訪ねる時代になった。家庭の中を見るほうが子供を理解するために良かったのではと思う私だ。
春になるとどこでも学校の先生の家庭訪問が始まる。先生の滞在時間は約10分から20分だが、迎える親側(ほとんど母親)は緊張する。どんな話をしたらいいのか、息子が悪さをしていなければいいなどと妄想する。「そういえば、先生に座ってもらう座布団が家にはない」ことに気づく。私の育った札幌東区は工場労働者の街で、客のための座布団を持っている家は少ない。ソファもなくて、ほとんどがちゃぶ台である。そこで、近所に声をかけて「座布団を1時間くらい貸してもらえないか?」と言えば「ちょっと待って、うちにはないが○○さんなら持っていると思う」と借りてきてくれる。借りた座布団を敷いて先生を待つわけだ。困っていたら助け合う地域社会が東区に限らず札幌じゅうの街に残っていた。相手に喜ばれることが自分の喜びであるかのような人生観である。その分、相手に自分の家の中を晒すことにもなる。兄弟や子供の成績や親戚関係まで熟知される。うるさいけれど、その中でどこか安心の共同体であった。子供たちは友達の家に遊びに行くと、親がいなければ、平気で冷蔵庫漁りをする子供もいた。あるとき、中学の同級生の弟が体格が大きいので相撲部屋に入ることになり、親方がやってくるというので大騒ぎになった。もちろん座布団がない。「いったい何人が来るのか?座布団は何枚用意したらいいのか」と隣近所で座布団をかき集めて親方を待って、晴れて相撲部屋に入った。親方たちの大きなお尻を近所から借りた座布団が支えていたのである。昭和39年ごろ、相撲の星取表があれば、序二段で佐藤(札幌)というのがその人で、関取になれず、ちゃんこの店で働いていると噂を聞いた。

我が家は父の故郷に疎開したので、隣近所のお世話になりっぱなしで、貸すものより借りるものの方が多かったですね。田舎の人達は親切で、遠い親戚の炭俵の倉庫代わりに使っていた空き家を年間3万円で貸してくれていたようです。二百年以上も経った家でしたが梁や大黒柱は太く立派でした。何でも昔は茶屋だったそうで京都に向かう街道筋の峠の手前の村でした。司馬遼太郎の北国街道を行くに出てくる街道筋です。山村ですから田畑も狭く山林が多く半農半林の村でした。そんな田舎では先生よりもお坊さんの方が敬われていて、お坊さん用の座布団だけは立派でした。紫色で大きな房がついたふわふわの座布団で、それは大事に仕舞われていました。亡き祖父が坊さんで、父は弟に譲った母屋には立派な巨大な仏壇のある大広間とお坊さんの泊まる専用トイレ付別室もありました。おじさんの家で従兄弟たちと、こっそり親に内緒であの大きな座布団に座ってみたりもしました。
房のついた座布団は丸くて、子供が座るところっと転がりませんでした?僧の座布団を2枚重ねて、どれだけ長い時間座っていられるか遊びましたよ。木魚でも遊び、畳みのヘリでもまっすぐ歩く練習したり、お寺ランドです。日本中のお寺を子どもに開放する1日をつくると楽しいと思いますね。それこそ住職だけ入れるトイレを使用してみるとか。座布団投げ合戦でもいいですね。ぶつかっても痛くないし。