そば哲・遠浅店
年末も近づき、25日、苫小牧は積雪ゼロらしいので、隣町安平町にある、そばの名店「そば哲」遠浅店へ年越しそばを兼ねて車を走らせた。上左 有精卵卵焼き 上右大盛 下段は焼きナスソバだ。近くに社台スタリオンがあり、競馬関係者も多く来店する。トーカイーテイオー、ディープインパクト、キングカメハメハなどを見に来た後は必ず立ち寄ったが、心無い観光客が増えていまは観光客は入れないのがさみしい。とはいえ、2021年の締めくくりは「そば哲」に行かないと。親しい人が来ると、そば好きが来ると連れて行った店だ。フレンチの三国シェフ夫妻とこの店で鉢合わせをしたことがある。そして彼らも最初に頼んだのが、卵焼きであった。
新千歳空港から近いのでレンタカーですぐに到着するが、ファンが多く、午後1時以降に入るか午前11時過ぎに入店するといい席に座れる。文字ばかりのブログに1年間、お付き合いくださりありがとうございます。
広告マン。
年越しそばの季節ですね。最近私は遠出のドライブもしなくなりましたので行けませんが写真を見ると美味しそうですね。我が田舎も蕎麦の名所でしたが子供の頃には不味い食べ物だと思って居ました。近場の叔父さんの家に行くと蕎麦打ちを見せてくれました。その前に従弟たちと大きなシーソー型の杵と土間に埋められた大きな石臼で蕎麦粉を作る手伝いをしました。子供にとっては天井の梁から下げられたロープを握ってのタダのシーソー遊びでしたが。叔父さんの蕎麦は太くて黒っぽい『田舎蕎麦』でした。そんな田舎の名物蕎麦を大阪や名古屋で見つけた時は必ず食べました。その蕎麦も、かつては北陸本線の田舎の駅のホームで売っていたものです。敦賀までのスイッチバックの峠越え前の機関車への石炭や水の補給や三重連結の準備の待ち時間に客がホームに降りて素焼きの丼で食べるのです。北陸トンネルの開通とともに急行や特急は通過駅となり、立ち喰い蕎麦も廃れ、都会での商売替えをしたようです。近代化は田舎の経済には大打撃でした。あれほど嫌いだった蕎麦も、北海道に移住した時の青森駅で食べた月見蕎麦が非常に美味かったのです。その後田舎に帰省した際に食べたあの懐かしい蕎麦も最高でした。大人になって志向も変わったのか?すっかり蕎麦好きになりました。今年は市内の製麺所で二八蕎麦を買って自宅で年越し蕎麦とします。昨日は市内のお得意様へお歳暮を届けに走り回りましたが、中でも特に大切な方には一年間の感謝の御礼と『新得蕎麦の年越しセット』をお届けしました。
seto
そばにまつわる思い出話、たくさんありますね。太くて黒っぽいソバは私の住む家の近くに天皇陛下が食べに来たという思君楼という店があります。食べにきてください。私は苦手d更科ソバが好きです。仙台で作られていて、丸井今井の地下に売ってます。立食いソバはどこでも安いし美味しい。汁まで飲みます。ウドンコが多いのでしょうが値段からいってOKです。父親が大のそば好きでよく食べていたのを思い出しました。年越しそばの季節です。ひにくれていた私なのでわざとラーメンを中学時代に食べていたと思います。九州に嫁いだ娘が蕎麦屋さんが少ない土地だと言ってました。圧倒的にウドンでした。3月に帰宅するので「そば哲」に連れて行く約束をしました。胆振東部地震で店の中があちこちやられて難儀をしたと主人さん言ってました。古民家の蕎麦屋はいいのですが、苦手は畳で、お座りできません。低い椅子を借ります。
昔の少年。
昨年亡くなった長女に連れられて我が家の寺のある武生市の蕎麦屋に行きました。司馬遼太郎著『街道をゆく』の北国街道編にその蕎麦屋の情景が描かれていて、その薄暗い店には愛想の悪い頑固そうなお爺さんの店主が居ました。華やかさは全く無く、昔から引き継いだ伝統そのものの雰囲気でした。司馬遼太郎の文庫本も置かれていて、パラパラとめくり読むと可笑しいくらいそのまんまでした。変わったメニューを頼むと店主は必ず『おろし蕎麦』を薦めて来ました。余程自信があるのか?それとも面倒なのか分かりませんが、そんな不愛想さも人気の秘密なのかも知れません。そんな訳で当時の味は覚えていませんが、兎に角、珍しい老舗でした。
seto
古民家の蕎麦屋に頑固なソバ職人がいると、いい風景で味もいいのでしょうが歴史の中に置かれた通行人みたいなもんで、「また通ったときに食べに参ります」というお店です。司馬遼太郎の街道を行くは、必ず当地の物知りの人が案内しますから、昔の少年さんが行った店も案内人のメガネにかなったお店だったんでしょう。頑固が消えて久しくなりました。頑固復活宣言があちこちで現れるといいですね。
広告マン。
思君楼の蕎麦は私も大好きで、お爺さんの代にはよく通ったお店です。今は本店をお孫さんが継いでいるようで数回行きましたが、気のせいか味も多少変わったように感じました。恵み野の団地内にも分店があって一度だけ行きました。やはり昔の本店の味が忘れられませんね。注文してからゆで上げるので他の蕎麦屋さんと違って待ち時間が掛かる様子や昔ながらの気骨があった店でした。
seto
そうなんです。たれがどうも口に合わないので思君楼ではなくて早来まで車を走らせます。本店より行くなら恵み野ですね。黒くて太い麵を本州から来た友人は食べたがります。夕方行くと品切れです。頑固な面と味でした。店内で威張ってましたね。外まで聞こえました。ラーメンの冨公みたいな人でしたね。