『人間は成功体験の奴隷である』。なので子ども時代から褒めること、評価をしてあげることの大事さがわかるというものだ。K氏はそれ以外に『万引きや』『カンニング』などの成功体験もずっと快感を持続させているのだと言う。大脳のセロトニンが分泌される話にもなって、なるほどと筆者は思った次第だ。恋愛でも『俺は絶対、口説いて失敗したことがない』と70歳過ぎのヒゲを生やした西洋骨董経営者の話を聞いたことがある。酒も飲まず、金払いはいいから口説いているところを目撃したいものだと思ったが、いまだ見ていない。相手を褒める現場は見ているから、その辺が上手なのだと思うが、骨董についての物語を語りだしたら止まらない。どこまで真実かわからない。その点を含めてモテない男は筆者も含めて言葉や態度に面倒臭さオーラを出しているみたいだ。もう少し、若いころから私はもててもいいはずだが・・・・。こればっかりは自分で決めることではないが。

しかし、成功体験が継続するかといえばそうでもない。仕事において、成功の自慢話はよく聞いたし、自分も後輩にどこかでしているかもしれない。聞く側はウンザリするが、成功をしているのだから何かのヒントや知恵が隠されてるはずだと思うが、知人で何人か起業して約10年は成功を重ねてはいたが、後半、失速し、倒産したり、病気で命を落とした人もいる。給与明細まで見せてくれた。月給100万円からのスタートであった。経理の女性は『そんなに社長へ支払うほど利益が出ていない。家賃や私への給与を払うと赤字になる』と冷静に判断していた。

彼にとっての成功体験は、既存のベース(所属企業や肩書き)に乗っていたに過ぎないことに、独立してしばらくするとわかってくる。世間は冷たいもので、自身のバックヤードがあって利害で繋がっていたケースが圧倒的に多い。東芝の仕事をしていたときに、企画の担当者が『東芝だからテレビ局も付き合ってくれるが、それがなくなれば誰も相手にしてくれないだろう』と定年前に私に語っていた。。『うちの息子を名古屋あたりののテレビ局に就職させられないか』と相談もされた。私にそんなツテはない。果たして成功したかどうか不明である。

私の学生のころ、都銀や生・損保、商社、上級公務員、各種メーカーなどへずいぶん勤めたが倒産や転職も多かった。全く働きたくない怠け者の筆者はアルバイトの日々で肉体労働、家庭教師、山の測量、新聞社校閲部で働き、金を稼いできたが、そこそこの稼ぎであったから不満はなかった。大学の図書館や古本屋、同級生の自宅に集まり、徹夜のマージャンやポーカーで朝まで過ごした。その空間は冗談が朝まで飛び交う夢のような時間であった。。その時点で成功者は誰もおらず、失敗者もいない。それから約50年。肩書きをすべて失っても彼らとの付き合いは続く。収入の過多・過小はあっても付き合う。『人間は成功体験の奴隷である』かもしれないが、人にいえる成功体験がないほど結果として気楽な人生で終えれるのかもしれない。

  1. 確かに成功すれば気分も良く、一度体験すれば、また成功を求める。そんな繰り返しですね。人によってはその成功の種類やその成果の大小の違いはあっても、それが多ければ多いほど更に成功を求める連鎖反応が起きるのでしょうね。しかし失敗段も必ずある訳で、美談だけでなく、むしろその方が聞きたいですね。失敗も多ければ多いほど辛さも比例して気持ちも沈みますが、そんな時に一つでも成功事例があれば気分も一新。また頑張ろうと言う気持ちになり、また明るくなった気持ちで次の事を考えれば、次の成功への道筋にも進める事に繋がるでしょうから『失敗は成功の元』とも言えますね。振り返ってみれば、人に言えない事も含めて失敗は数知れないですね。都合の良いもので、その殆どは思い出せませんが、成功例だけは何故か?いつまでも鮮明に覚えているものです。

    • 失敗は、日々の学校生活から仕事から家庭からいろいろあっても、考えると成功したなという思いが少ない自分に気づきます。たくさんあったような気がするのですが、返信を書いているうちに、誰でもできることをしてきたんだと、犯罪を犯してこなかった、困った人を少し助けたくらいですかね。何が成功で何が失敗だったのか。この年齢になってわからなくなります。他人が判断することなのかもしれません。自分を外から見るようになると、たいしたことはしていないなあと思う次第です。情けない結論ですね。

  2. 悪ガキだった頃の成功体験はしっかり覚えていますね。今思えば、とっても孫たちには話せない程の、今で言う犯罪に近い悪戯ですから、家族にも、その真実を余り話した記憶はありませんが、自分自身の中では、まるで宝物のように今も記憶保存されています。これを今の子供達がやれば、絶対大問題になるでしょうね。当時は小さな村の中でそんな悪さをするのは自分と竹馬の友の二人の札付きの悪ガキしか居ないので『また、あいつらか?』で終わって居ました。それだけ寛容な時代でもあった訳です。成功と言えるかどうか?は当人たちと大人たちの間で正反対の考えですが、次から次へと悪さ?の発想は際限を知りませんでした。放課後に学校から人体の骨格模型を持ち出したり、農協のオート三輪を無免許(当然)運転してひっくり返したり、鍵の掛かった車庫の地面を掘って入り込み、トラックのバッテリーを盗んで分解して中身を調べたり?。バスの後ろやトラックの荷台に潜り込んで隣町まで無賃乗車したり、畑に仕掛けてあったモグラ獲りの罠を片っ端から引っこ抜いたり(理由はモグラが可哀そう)と。数えきれない悪知恵の発想だけは無限でした。つまり当時の成功例?は、また次への未知への成功への発想のきっかけになっていたのです。大人がやれば犯罪ですが、子供の特権で許されたのでしょう。反省!

    • なるほど、いい少年時代を送ってますね。宝物のような子供時代で羨ましい限りです。国鉄の官舎街で静かでおとなしい小学生時代を送っていたので劇的な活動的な小年ではなかった。鉄くずを拾ってお金に換えて駄菓子屋に走って食べていたくらいです。中学に入って動きが活発になってはいきましたが、昔の少年さんの行動的かつ次々アイディア浮かぶイタズラと行動力は、その後、起業したり動き回る昔の少年さんの行動力の源泉になっている気がします。公務員の子供はどうもおとなし過ぎて私みたくつまらない男になるケースが多いですよ。生まれた環境と自然、友人に左右されるのが人生かもしれませんん。そういえば1年生から6年生まで背がクラスで一番低かったことも影響していたかもしれません。

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