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クリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』を9月9日に見に行く。『世界戦争事典』(278p)にはこの戦について次のように書かれている。ジョージ・C・コーン(鈴木主悦・浅岡政子訳、河出書房)

 ダンケルク撤退作戦(1940年)・・・第二次世界大戦の初期、ドイツ軍はベルギーを蹂躙すると矛先を転じ、イギリス海峡にのぞむ北フランス海岸の港を占領しようとした。ドイツ軍は上空および陸上から各港を激しく攻撃し、イギリス、フランス、ベルギーをはじめとする何十万の連合国軍部隊は、背後の海とドイツ軍前線に挟まれた。イギリスとフランスの軍艦と商船だけでなく、個人の漁船やヨットなどもダンケルク海岸に集まり、連合軍の救出にあたった。1940年5月26日から6月4日まで1週間以上のあいだ、船という船はすべて撤退作戦に参加し、1200隻以上が海峡を往復して疲れきった兵士を無事にイギリスへ運んだ。その際、ドイツ空軍は海上の連合国軍を壊滅させようと、容赦なく猛爆を加えた。駆逐艦6隻を含む連合国軍の艦船が撃沈されたが、大部分の船は難を逃れ,約34万人の部隊の救出に成功した。

 最近、映画の内容の如何を問わず、爆薬を多用する映画を意識的に避けてきた私ではあったが、週刊誌の映画評が高いのでその禁を破って行ってきたわけである。砂浜の兵士、救助に向かうヨット、ドイツのメッサーシュミットVSイギリス軍スピットファイアー、海岸線を猛爆するドイツ機、生死の境で出てくる個人のエゴも見事に描かれている。椅子から腰を浮かせてしまうシーンもあって、しかし、本当の戦争はこんなものではないなとも思いつつ、NHK『インパール作戦』や『ペリュリュ島』を見て、大岡昇平の『野火』や「レイテ戦記」、吉田満『戦艦大和の最後』、内村剛介さんのラーゲリの体験談を読んでいて、『ダンケルク』を美談として残したい監督の意図も見え隠れする。でもそうでもしないと、『映画』を超えてしまって、生の現実になってしまうから監督や脚本家の出番はなくなる。戦争映画の難しさは、見ていて不愉快になることも多いのは、自分自身が敗戦国なのか連合国なのかとか、結果としてこの戦争の『非』はどちらにあるかとか、複雑な感情の海の中で作られることだ。この映画にはドイツ兵は一人も出していない。出るのはメッサーシュミットとドイツ軍の砲弾だけだ。監督の気遣いが見える。

 久しぶりに妻と映画を見た。『撤退の兵士にパンを上げる人たちがいて良かったね。日本の兵士はほとんど餓死だったもの。』『つくづく男って大変だわ、命の取りやっこ。』『兵士の死の恐怖をよそにさっさと特別列車で帰国して、大学総長に就任したり、医学部長に就任した満州の石井細菌部隊の幹部たち。インパール作戦も責任者は帰国して生き延びた』

 『いったん、歴史の犠牲になった人々は、再び犠牲にされやすい。(182p)』(サピエンス全史 上)ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社

 大正生まれの私の父と妻の父は共通の思想があって、それは『国を信じてはいけないよ』ということ。満州からの引き揚げ者の父、中国戦線から帰国した義父の遺言だ。国家は平気で棄民し続けてきた歴史で、別に日本に限ったことではないけれど。1945年以来、2017年まで戦争を止めたことのないアメリカも、戦地で戦争の現実を見て、帰国しても適応できないアメリカ兵が莫大にいる。そして苦しんでいる兵士OBも多い。

  1. ゼロ戦パイロットの弟。

    戦争は過去のものでは無く、規模の大小はあるけれど今現在も世界各地で続いています。前世紀の戦争と現在の戦争の違いは軍艦同士や飛行機での空中戦などが殆ど無くなった事ではないでしょうか。ミサイルや長距離砲やドローンなどの無人機による遠隔操作戦が中心になりました。兵士同士の肉弾戦は少なくなった反面、一般人をも巻き込む甚大な被害をもたらしています。また前世紀の戦いとの違いは表立っての連合軍が居ない事ですね。後方支援での協力関係は有るものの、その関係は意外に冷めたもので、一緒に戦う事を避けています。多分、分の悪さを見極めたら即座に手を引く考えなのでしょう。しかし今の時代に僅かな領土を巡って争うとか、資源を横取りとか、思想の違いだけで戦争にまで発展させる時代では無いのでは無いでしょうか。むしろ同じ後方支援なら軍備以外に、お互いのメリットを追求する方法への道も有るのではないでしょうか。我が国も最近ではパトリオットなどをノックダウン方式で国内生産し、下火になったクルマの輸出に代わって、アメリカに逆輸出して居るようですが、日本がメイドイン・ジャパンのミサイル工場になる危険性もはらんできましたね。

    • 過去・現在・未来、戦争の歴史です。鉄が作られ、火薬が作られて、国境線が設けられて、食料品と資源・労働者の取り合いが戦争の原因ですが、それ以上に「過去に身内のだれだれが殺されたことがある」という「感情の問題が宗教以上に大きい」と思いますね。たとえばスコットランド紛争は北にカtリックと南のイングランドのプロテスタントというあたかも宗教による戦争と教科書に書いてますが、真っ赤な嘘で「おれのじいちゃんがイングランドの兵士に殺された」という現実や伝承がずっと長く続いていると思いますね。それの復讐という意味です。三菱重工業以外、幸せにしないパトリオット辞めて欲しいですね。ニュースはそれを生産する企業名を正確にだしてほしい。新明和工業や川崎重工もね。

  2. 私ももう少しだけ早く生まれて居れば、あの東京大空襲を身を持って体験したはずですが、姉たちは現実として戦争の怖さを体感しているのです。話してはくれませんでしたが焼夷弾の降り注ぐ光景や焼け野原に化した東京も知っているのでしょうね。そんな姉たちも一人亡くなり、他の二人も歳老いてきましたが、今朝のTVで東京は渋谷の大混雑の交差点周辺を見ていて、この人たちの中にどれだけの戦争体験者が居るのだろう?と。また交通整理に必死に成っている警察官の中にも既に戦争の事など全く知らない世代ばかりで、もしかしたら?東京の人口の殆どが東京空襲など頭の片隅にも無くなってしまったのでは無いかと感じますね。終戦から立ち直るのも早かったようですが、忘れ去る事も早いもので、何故か政治をはじめ企業も教育も東京一極集中になったのは意外ですね。東京の土地の下に多くの犠牲者が眠っている上で、ハローウインだとか、クリスマスだとか、はしゃいでいる人達を見るにつけ、身震いしてしまいます。

    • 首都圏の人波を見ていると、小学生時代に修学旅行で登別の第一滝本館で男女混浴の温泉に入っていた風景を思い出します。なぜ集中するのか。たぶん政治力が弱まると官僚(失業をしない)が力を伸ばします。政治家は素人集団で、動物園の猿集団だと思えば、それの飼育員が官僚だと言い放った人がいます。戦争が終わって、しかし、官僚組織はそのまま残したことが功罪としてどうだったか?近所の国家公務員(元)は離し方において、やっぱり威張り癖取れてませんね。経済産業と農水省。社保庁いますが。東京は圧倒的に外からの輸入人口ですからね。首都圏の歴史はあまり学ばないと思います。NHK特集で映像で見るくらいかも。関東大震災もそうですが、災害は忘れたころにやってくる(寺田寅彦)。福島の原発はメルトダウン続いてます。こういう大事なニュースも隠されています。NHKの4Kテレビですが、電力代金が高騰するだけです。

  3. 中学生の頃、図書室でゼロ戦やメッサーシュミットやグラマンなどの戦闘機の図鑑を見て授業中に鉛筆で細密画を書いていました。戦争が好きと言う訳では無かったのですが、あの機能美がたまらなく好きで、美術部だった事も手伝って鉛筆画に夢中でした。我が家も戦争の犠牲者で東京からの疎開組ですが、あの忌まわしい航続距離の長い巨大な爆撃機B29エノラ・ゲイやボックス・カーも絵にしました。広島や長崎にもあの4tもの原爆リトル・ボーイやファットマンを投下した巨大な爆撃機です。当時の私達には戦争は既に過去のものと成っていたのです。ところが最近では身近にもキナ臭いニュースが再燃して居ます。北海道とロシアの間での北方領土返還問題も立ち消えてしまいました。北方領土にも日本海の島々にもロシアや中国の軍事施設や軍事演習が繰り広げられています。日本政府は『遺憾』とか『強く抗議』としかメッセージ出来ない事を良い事に好き放題ですね。そこで第二次世界大戦のきっかけのようなアクシデントが起きないと言う保証も無いので危険な時代に入りました。

    • 中学生のころプラモデル流行りました。戦艦ヤマトや飛燕、大阪城などつくってましたが,すぐに飽きてしまうので(丁寧さがない)兄が真剣に作ってました。私は公園でバレーやサッカーとおしゃべりでしたね。文房具屋さんやプラモデル(中川ライター店)に通ってました。苗穂駅から市電で街中へ。市電を復活しましょう。レトロな札幌の町に。

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