自然は過去の習慣に忠実である(寺田寅彦)2021年
『災害は忘れたころにやってくる』と語った物理学者の寺田寅彦さんの『津浪と人間』(波でなく浪という漢字を充てていた)(平凡社 寺田寅彦83p)から。自然は人間のことなど忖度しない。原文はこうだ。『(自然)は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやってくるのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方即(法則ではなく方即と表現)とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである』。
私たちはこう考えるから、自然よ収まってくれ、地震や津浪や火山の噴火を起こさないでくれと祈るのは結構だが、赤ん坊の泣き声と同じように突然に泣きわめく。自然とはそういうもので、それを探求する科学の発達は『過去の伝統の基礎の上に時代時代の経験を丹念に克明に築き上げた結果である。・・・二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して他所(よそ)から借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ないものである』(同著84p)
新しい哲学を(原発)に置き換えれば、日本の地震風土に合わないものを拙速に海岸沿いの活断層に並行するように立て続けた科学と貧困と過疎から逃れるために電力会社のまき散らす金に踊った自治体、安全を宣伝する電気事業連合会のCMで潤う民放各社と電通と広告代理店。寺田寅彦なら「やめなさい」ときっと言っただろうと思う。自然は人間のことを全く忖度しない、何度も反芻したい言葉である。安全はハリボテの神話に過ぎない。
ウィルスについても、人間と動物(家畜との共生)が始まって以来、シラミやノミやネズミを介在して何万年前から続いている。いまに始まったことではない。古来と違うのは交通の頻繁さと都市の過密化で、当時は自然免疫しか予防策はなかったが、いまはワクチン開発が続く。が、残念なことに収束時期がわからない。4回目の新型コロナワクチン接種券が来たが、私は行かない。自分の自然免疫力のバランスを信じるからだ。

昔の少年。
自然の怖さは何度も経験しています。冬の豪雪。夏の強力な台風。いつ起きるか分からない豪雨とそれに伴う崖崩れ。竜巻による被害。地震による津波やライフラインの寸断。これだけの自然災害を経験しているのに学習しない人間。今回今も続く能登の大震災では震源地近くでは7階建てのビルさえ横倒しになっていると言うのに高層ビルや超高層マンションの建設ラッシュ。免振構造と言うけれど東北での震災時の東京でも揺れるビルの恐ろしい映像を見て、例え眺望が最高としても、とても住む気にはなれませんでした。ハウスメーカーも大手建設会社も何故?災害を想定した建築物を研究しないのか?と考えれば、全てビジネス思考で壊れれば建て直せば良しと言う単純発想では無いかと思いますね。今回の大震災でも倒壊家屋の中で救出を待っている人達が未だ未だ居ると思うのですが、建物に押しつぶされてしまえば命を絶たれます。住宅の中にも、倒壊しても、そこだけは潰されない構造のシェルターのような安全地帯が必要ですね。そして水や食料備蓄や医薬品など災害に必要な備品も定期的に点検補充する習慣も、自分も含めて身に着けたいものですね。
seto
地震、火山噴火、洪水、がけ崩れ。ブラックアウトも体験しました。能登は奥が深くて、孤立した集落がたくさんありそうです。ドローンで水や食料など運べないのでしょうか?海岸沿いも岩場が多くて大きな船を発着させる港もないようで、自衛隊員の足で孤立部落に向かっています。地震でそこの住宅がどうなっているのか不明ですが。簡単に崩壊する高層アパート。自然は建築基準なんて関係ないですよ。あなた方が勝手に決めただけでしょう?という世界で原発についても、活断層か否かを能登の志賀原発で地震学者が激論して、これは12万年前に起きたやつだとか言って建設ゴーを出しました。柏崎も東電が関東の電力需要賄うために福島同様。つくったわけで。頭のいい学者は、自分の懐(損得)から考え方を変えていきます。専門用語を駆使して、それを理解できない人間を「どこかでバカ」呼ばわりしてこれまできましたね。説明会もヤラセ説明会で広告代理店を利用して運営してきました。電気事業連合会と電通、三菱・東芝・IHI、そこで稼ぐゼネンコンと経団連によって、この国がぐちゃぐちゃにされてきた歴史です。そんなことをしようが、地球の中で起きる自然については慮ること少なく、目先の財布が膨らむことを第一に遠い未来の子孫たちの生命や地表に無関心。自爆に走っているように見える列島です。