エリートパニック
『エリートパニック』という現象。(文明が不幸をもたらす・・クリストファー・ライアンより)
災害社会学のキャスリン・ティアニーが災害時に『エリートパニック』という現象が現れることを指摘している。(同著260p)ここでいうエリートは官僚や政治家、メディアに携わる人、大学教師、テクノクラートなど専門技術者、総じてテレビや新聞紙上で語る人たち、富裕層などを指すと思えば間違いない。彼らの災害時(地震や騒乱、反政府的な行動)において果たす政治的な機能を特徴づける。『エリートは社会秩序の混乱や既得特権の喪失を恐れる』。エリートのパニックは『社会秩序の混乱に対する恐怖、貧民や少数者や移民に対する恐怖、略奪や窃盗に対する強迫観念、激しい武力行使に訴える傾向、流言にもとづく行動』に特徴づけられる。いま現在ここで利益を得ている人たちだと思えば間違いない。『現在主義』とも解釈される。病んだ社会の起源という副題の『文明が不幸をもたら』最終章に出てきたエリートパニック。新型コロナでもニューヨークの富裕層はいち早く郊外の別荘へ逃げ安全を確保したし、しかし、そこが果たして安全かどうかわからない。
しかし、そういう行動よりも『災害ユートピア』という現実もある。文明が崩壊したとき、人間の本性を目のあたりにする。略奪に走るのではなくて他者に手を差し伸べる人も多いことに気づく。『人間が災害時に利己的で、パニックに陥り、野獣に戻ったかのように変わるというイメージは完璧に間違っている』(災害ユートピアの著者 レベッカ・ソルニット)地震や洪水や爆撃などに遭った経験者を数十年分調べて『災害はときには天国に戻る扉となります。それが天国であるという意味は、少なくとも私たちは自分がそうありたいと願う人間になり、自分の望む仕事をし、それぞれが兄弟の番人の役目を果たすと言うことです』。これまで人は人にとってオオカミであるからという認識が蔓延してきたから、『災害ユートピア』が現れるのは革命的な認識の逆転になる。
最近、読んだ「希望の歴史」のテーマは「ほとんどの人は本質的に善良だ」である。人間の本質は善であるを分析していった本である。たくさんの犯罪ニュースに囲まれ、映画やドラマで架空の殺人を見せられて、静かな日常を自分から壊していっていないだろうか?「退屈のなせるわざかもしれない」気をつけたいものである。
ゼロ戦パイロットの弟。
父親ほど年上の兄が特攻飛行兵から幸いにも生きて戻り疎開先の北陸で県庁職員になったのですが、大震災に見舞われ街中が破壊されたり大火災で焼失したりと大変な時に、ビルの倒壊瓦礫の中から助けを呼ぶ若い女性を助け出したらしいです。戦争を体験していた兄は、本来なら自分自身もパニックになって他人どころでは無くなるはずが比較的冷静に行動出来たようです。自分の親族よりも目の前の被災者を優先した、そんな人助けを咄嗟に判断できた事にも感心します。私は幼く大震災の記憶も薄々覚えてはいますがとても人助けどころか6歳上の姉が手を引いて安全?な場所に連れて行かれたようです。災害パニックと言えば子供の方がショックも大きくどうしたらいいか?うろたえる筈ですが、さすが姉は男勝りのキカン坊でしたから無意識に弟の私を助けたのでしょう。災害時には普段は見えない人間の本性が現れるのでしょうね。
seto
「災害時には普段見えない人間の本性があらわれる』ということでしょう。見たくない本性ですが。まず「自分の立場を守る』ために行動する社会人に溢れていますから、年上のお兄さんの行動は大したものだと思います。東日本震災でも自分の命を顧みず、子供を助けに行った消防士さんが擬制になった話もあるし、NYのツインタワーでも消防士がビルを昇っていってたくさん犠牲になりました。エリートパニックは、エリートたちより普段生きている庶民たちが横の連携や本能的な助ける意思が作動して動くことで、大昔の小さな村ではどこでもされていたことです。困った人がいたら助けるということなんですが、「その前に法律ではどうだこうだ、万が一したら責任はどうなる、自分の出世に影響ないか、上司からおとがめないか』などが優先的に頭がそっちに配慮がいって。目の前の事件を自身で関与を避ける生き方ですね。避ける人たちをエリートと言います。